田村潔司「解析UWF」第5回…長期欠場中に気づいた山崎一夫さんのうまさ
長期欠場中に気づいた 山崎一夫さんのうまさ
リングサイドで試合を観て、ボクもUWFの先輩方のプロとしての技術に気づいていくと、「うまさ」にもいろんなうまさがあることがわかるようになった。例えば山崎一夫さんは、アントニオ猪木さんが言うところの「受けの美学」みたいなものを持っていて、攻撃だけでなく技の受け方が抜群にうまい。
“受け方”というと誤解を招くかもしれないけど、相手の技がきれいに入ったとき、変に誤魔化すのではなく、説得力のある受け方をして、自然にそのダメージがお客さんに伝わっていたのが山崎さんだった。
ちょっと言葉で説明するのは難しいんだけど、自分も光りつつ相手も光らせることができるからこそ、山崎さんの試合は前田さん、髙田さんとの試合も沸いていたし、若手のトップだった船木さんとの試合も沸いていた。新生UWFの旗揚げ戦のカードが前田日明vs山崎一夫だったのは、前田日明vs髙田延彦というカードを温存したいという思いもあったかもしれないけど、そんな山崎さんへの信頼感があったんじゃないかと、今になると思う。
新生UWFでは一時期、船木さんと鈴木みのるさんがあえてお客さんのことを考えない試合をやったことがあるけど、ある意味でその対極にあったのが山崎さんの闘い方だった。山崎さんは新日本プロレス育ちだし、若手時代はタイガーマスクだった佐山サトルさんの付き人も務めていたから、ファンに夢を与えていた佐山さんの影響もあったのかもしれない。
ボク自身、若い頃に一度、山崎さんに光らせてもらったという思いがある。それは新生UWFが解散し、UWFインターナショナルが旗揚げして2年目の92年10月23日の日本武道館。髙田さんがメインイベントで元・横綱の北尾光司と対戦した大会のセミファイナルで、ボクは山崎さんと対戦して、いい試合をさせてもらった。あとで人伝てで「山崎さんが田村を褒めていた」とも聞いたけれど、そういう意味では、山崎さんとはリング上ですごく「気が合った」という記憶がある。
UWFのプロフェッショナルレスリングは、ただ試合をするのではなく、対戦相手との関係性をしっかり設定して、その前提があった上で試合の中で自分の感情を出すと、お客さんに最も気持ちが伝わる。
山崎さんはボクと対戦した時、Uインターナンバー2である自分が、22歳の若造である田村とリング上でどういう態度で接したらいいのかということを、すごく理解されている方だなと感じた。
ボクはボクで若いから「先輩を食ってやろう」というリアルな気持ちがあるし、試合の中でちょっと小馬鹿にしたような動きをして、山崎さんを怒らせてやろうという気持ちもあった。それに対して山崎さんは、おそらく「なめんなよ」という気持ちもありつつ、若い田村の感情を巧みにコントロールしてくれていたんだな、と今になるとわかる。
――記事の続きは、発売中の「BUBKA3月号」で!
取材・文=堀江ガンツ
田村潔司=たむら・きよし|1969年12月17日生まれ、岡山県出身。1988年に第2次UWFに入団。翌年の鈴木実(現・みのる)戦でデビュー。その後UWFインターナショナルに移籍し。95年にはK-1のリングに上がり、パトリック・スミスと対戦。96年にはリングスに移籍し、02年にはPRIDEに参戦するなど、総合格闘技で活躍した「孤高の天才」。現在は新団体GLEATのエクゼクティブディレクターを務めている。
【BUBKA(ブブカ) コラムパック 2023年3月号 [雑誌] Kindle版】
▼Amazonで購入
▼ 楽天Kobo
▼ honto
▼ DMM
▼ ブックパス
▼ コミックシーモア
▼ ブックライブ
▼ dブック
▼ ヨドバシ.com
その他、電子書籍サイトにて配信!
【闘魂と王道 – 昭和プロレスの16年戦争 – Kindle版】
▼Amazonで購入