天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る!ミスタープロレス交龍録 第50回「オカダ・カズチカ」
天龍源一郎は、その40年間の“腹いっぱいのプロレス人生”で様々な名レスラーと出会い、闘い、交流した。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の2人にピンフォールでの勝利を収めた唯一の日本人レスラーであり、ミスタープロレスとまで称された天龍。そんな天龍だからこそ語れるレジェンドレスラーたちとの濃厚エピソードを大公開しよう!
最初の感情は洒落臭い発言に対する怒り でも一歩踏み出しての対戦快諾に男気を
俺は最初、オカダ・カズチカにそんなに興味はなかったんだよ。海外から帰ってきて、すぐに棚橋弘至からIWGPを獲って話題になったけど、それは新日本プロレスの中の流れだからね。オカダ・カズチカという190cmある奴が新日本にいて、トップグループで頑張っているなあっていう感覚しかなかったよ。試合を観て、どうたらこうたらっていう感情は一切なかったよ。
そんなオカダに対する俺の最初の感情は怒り。彼が2012年と13年の2年連続でプロレス大賞のMVPを獲った時に「猪木選手、鶴田選手、天龍選手 その3人は僕と同じ時代じゃなくてよかった。もし同じ時代だったら、そんな記録はできていないと思うので感謝してほしいですね」って公言しているというのを聞いて、現役だった俺は、後輩レスラーの洒落臭い言葉を見過ごすことはできなかったね。すぐにウチ(天龍プロジェクト)の紋奈代表に「すぐに外道(当時のオカダのスポークスマン)に連絡しろ!」って言ったのを憶えてるよ。
ジャンボは亡くなっているし、猪木さんも引退していて発言する場がないから「俺が言わなきゃ誰が言う!?」と思ったんだよ。当時のオカダはレインメーカーとして高慢な発言を連発していたから、そのキャラクターとしての発言なのか、自惚れからの発言なのかはわからないけど、俺は新日本のレスラーじゃないんだから通用しないよ。「吐いたツバは飲み込むなよ」ってやつだよ。
しばらく新日本からは何の反応もなかったけど、俺の2015年11月での引退が決まり、俺が本気で言っていることが徐々に伝わったんだろうね。態度が変わってきて、それでオカダの意思を確認するために8月16日の両国国技館に乗り込んで「昭和のプロレスを味わう最後のチャンスだぞ!」って、かましてやったんだよ。カッコイイねぇ(笑)。
目の前で見たオカダは颯爽としていたよ。で、大きかったね。線は細かったけど、よくアメリカにいる器用で大きいレスラーというイメージかな。
今考えると、よくぞオカダは俺との対戦を快諾したと思うよ。一歩踏み出すことは、簡単なようで難しかったと思う。俺を完膚なきまでに叩きのめして勝ってこそのIWGP王者のオカダ・カズチカじゃなきゃいけないわけだからね。
引退当日(11月15 日)、「グーパンチが気持ちよく入ったりとかしたら、俺はラストマッチでオカダ・カズチカに勝っちゃうな!」などと思いながら両国国技館に向かったことを憶えてるよ。オカダはもし俺に負けたら、俺は引退するんだから、リベンジのチャンスはなくて「天龍に勝てなかった男」っていうのが一生付いて回るわけだからね。そういう意味では男気があったと思うよ。
あのオカダとの試合では、どこかで両手を広げるレインメーカー・ポーズをやってやろうと思っていたけど、試合開始早々に俺のチョップでオカダが場外にエスケープしたから「今、やってやろう」って。あの試合で天龍源一郎が一番光ったのは、あのシーンだよ(苦笑)。
最初に試合で思ったことはね、始まって5~6分かな、オカダが俺をロープに振ってドロップキックをバーンとかましたのよ。それで俺は場外に倒れちゃって「畜生!」と思って、パッとオカダを見たら、オカダは客席を見回していたんだよね。その時に悔しいけど「負けた!」と思ったよ。やっぱり、そういうもんだよ、レスラーってね。
足で蹴って、相手を遠くに飛ばすという本来のドロップキックという意味ではジャンボやブルーザー・ブロディより上だったと思う。高く上がって、さらにキック力があるんだよね。ジャンボはパーンとなぎ倒す感じだったけど、オカダはポーンと跳ね飛ばす感じだったね。ブロディは高く上がってドンとくる感じ。まあ、オカダのドロップキックは見事に顔面に入ったよ。
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取材・文/小佐野景浩
天龍源一郎|1950年生まれ、福井県出身。1963年に大相撲入り。1976年のプロレス転向後は「天龍同盟」での軍団抗争や団体対抗戦で日本・海外のトップレスラーと激闘を繰り広げ、マット界に革命を起こし続ける。2015年の引退後もテレビなど各メディアで活躍中。
オカダ・カズチカ|1987年、愛知県生まれ。15歳でプロレススクール闘龍門の13期生として入門。2004年メキシコでデビュー。ウォルティモ・ドラゴンからの指名で国内外問わず実戦経験を積む。2007年新日本プロレスに移籍。同年の内藤哲也戦でのプレデビューを経て、2008年石狩太一戦で再デビューを果たす。ノアとの対抗戦や海外遠征などを経て2011年の武者修行帰国後から「レインメーカー」と称してリングに上がる。2012年棚橋弘至に勝利してIWGP王座に輝く。2018年にはIWGPの防衛新記録となる12度目の防衛を達成。2022年にはIWGP世界ヘビー級王座を初戴冠。現在も新日本を引っ張るエースとして君臨している。
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