田村潔司「解析UWF」第3回…リアリティのある感情表現は、リアルな経験によってしか生まれない
UWF第1回入門テストにたった一人だけ合格
ボクは新生UWF第1回入門テストに唯一合格した新弟子第1号。ただ、絶対にUWF以外の団体には行きたくなかったわけではない。中学2年からプロレスラーを目指し高校2年で新日本プロレス、全日本プロレスに履歴書を送ったのだけれど、前述のとおり、当時は志願者が掃いて捨てるほどいたからか、なんの音沙汰もなかったのだ。
そして高校卒業間近の2月、周りはみんな就職先などが決まり、何も決まってない自分に焦りが募る中、プロレス雑誌で見つけたのが新生UWFの旗揚げと練習生募集の記事だった。この時、何か運命的なものを感じたのが、ボクとUWFとの長い関係の始まりだ。
第1回入門テストには数百通の応募があり、実際にテストが受けられたのは書類選考を通過した約20人。ボクはなんとか、その中のひとりに入ることができた。
テストメニューは腕立て50回、スクワット500回、腹筋100回、ブリッジ3分、あとは道場近くの坂道で坂道ダッシュを3往復だった。数字だけ見ると「意外と簡単じゃん」と思う人もいるかもしれないけど、試験官(先輩選手)の厳しい目にさらされながらやるのは緊張もあるし、なかなか自分の実力が出せないもの。しかも入門テストなので、この回数をいかに早くやるかの勝負でもある。
その中でボクはフルスクワット500回を一番乗りで終えた。時間は10分ちょっと。500回を10分でやったということは1分50回だから、ほぼ1秒に1回のペース。間違いなく自分の人生で最速のペースであり、脚はパンパンになったけど、アドレナリンが出ていたからできたんだと思う。
テスト終了後、合否の判定は後日郵送で知らせるということだったが、ボク自身はかなり手応えがあった。ほぼ全種目成績は自分が1番だったし、UWFに道場の場所を提供してくださっていた第一自動車運送会社の寺島社長からも声をかけていただき、「お前がトップだぞ」と言われていたからだ。
そして地元岡山に帰ってから数日間、いつ合格通知が来るかワクワクして待っていたのだけど、いざ届いた封筒を開けたとき自分の目をうたがった。「残念ながら今回、貴殿の採用は見合わせていただくことになりました」と書かれていたのだ。この時はさすがに目の前が真っ暗になった。いったいこれからどうすればいいのか。
ところが数日後、UWFの事務所から「こちらの手違いで、合格でした」という電話がかかってきた。本当に手違いだったのか、それとも不合格にしたもののやっぱり雑用係の新弟子がほしかったのか、それはわからない。とにかくボクは新生UWFに入門を果たすことができた。結局、第1回入門テスト合格者はボクひとり。それもデビューが保証されているわけではなく、UWFのプロフェッショナルレスラーになる第一歩を記すことを許されただけ。当時のプロレス界は、かくも狭き門だったのだ。
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取材・文=堀江ガンツ
田村潔司=たむら・きよし|1969年12月17日生まれ、岡山県出身。1988年に第2次UWFに入団。翌年の鈴木実(現・みのる)戦でデビュー。その後UWFインターナショナルに移籍し、95年にはK-1のリングに上がり、パトリック・スミスと対戦。96年にはリングスに移籍し、02年にはPRIDEに参戦するなど、総合格闘技で活躍した「孤高の天才」。現在は新団体GLEATのエクゼクティブディレクターを務めている。
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