【追悼特別企画】天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る! ミスタープロレス交龍録「アントニオ猪木 前編」
最初はね、猪木さんに対していい印象を持ってなかったんだよ。76年の秋場所が終わったらプロレスに行こうと思っていて、7月の名古屋場所の時に中京スポーツを読んでいたら、猪木さんの「相撲取り上がりは使い物にならないな」って言ってる記事が載っていたんだよ。それで、俺の選択肢の中から新日本プロレスがスーッと消えて、「ああ、プロレスに行くとしたら、やっぱり馬場さんの全日本プロレスしかないのかな」って、俺の気持ちが8割から9割ぐらい固まっちゃったんだよ。
実際に猪木さんに会ってみたら、馬場さんとは全然違ったね。馬場さんは縦の社会の上にいる人……組織の中の社長、会長っていう感じだったけど、猪木さんは仲間の中の頭領っていう感じかな。猪木さんは厳しいっていう印象しかなかったから、新日本では試合が終わった順にシャワーを浴びるって聞いた時に信じられなかったよ。全日本では馬場さんがシャワーを浴びるまで浴びないとか、飯でも馬場さんが座るまで食べないとかっていうのが徹底されていたからね。
新日本の選手は本当に猪木さんのことを尊敬してるんだよね。全日本の選手は卑下するってことではなく、身近な感じで、あることないことを含めて馬場さんの話で盛り上がるけど、新日本の選手は猪木さんのことを崇めて、尊敬しているんだよ。だって長州といて、猪木さんのことを冗談でどうのこうの言ったら「源ちゃん、会長の悪口を言うのはやめてよ」って言われたからね。
猪木さんは自分のブラジルの事業に会社の金をぶち込んで借金背負ったり、無茶苦茶なことをやってるのに、みんなから崇められるんだから不思議な人だよ。多分、日々の姿……夜中に道場に来て練習をしてるとか、プロレスに対する真摯な姿勢を見て、みんなが「こうありたい」と思っていたんじゃないのかな。
猪木さんと初めてちゃんと喋ったのは89年2月にオハイオ州クリーブランドで試合をして、帰りにロサンゼルスに寄った時。日本プロレス時代の猪木さんの後輩の佐藤昭雄選手を通じてイタリアン・レストランに食事に誘われたんだけど、俺に対して一人前のプロレスラーとして接してくれて、とうとうとプロレスの未来のこととかを4時間ぐらい話してくれたんだよね。新日本の人間じゃない俺に、こんなに熱っぽくプロレスを語る猪木さんに感動したのを憶えてるよ。馬場さんだったら、よく知らない人間にプロレスをどうのこうのなんて語らないし、俺にしても猪木さんと立場が逆だったら、あれだけの熱意を持って話せないよ。