田村潔司、孤高の天才が語るヤマヨシとの宿命
――練習が辛くて夜逃げとかじゃないんですね。
田村潔司 山本の場合、アゴを骨折して手術して、入院中はアゴをワイヤーで固定して流動食しか食べられなかったから体重も落ちてね。でも、アゴを固定してようが何してようが、退院したら道場に来なきゃいけないし、他の新弟子と同じ練習をするしかない。
――そんな状態でも通常通りの練習と。
田村潔司 うん、通常通り。それで生き残れなかったらもう生き残れないから。おそらく俺の記憶では、心は折れてないんだけど、ケガは治ってないし入院で体力は落ちてるし、できないものはできなくて辞めるしかなかったんだと思う。
――厳しすぎる世界ですね。ケガを負ったら群れを離れるしかない野生動物の世界というか。
田村潔司 そんな感じかもしれない。今みたいに「育成」というものに力を入れていたら、辞めずにUWFでちゃんとデビューして、その後、総合格闘技のほうでも活躍した選手もいたんじゃないかな。だって昔は堀口も海老名も身長180は普通に超えて、183とか185ぐらいあったからね。
――田村さんより大きかったんですね。
田村潔司 山本は190くらいあるし、末恐ろしいよね。
――当時は、そういう逸材をデビュー前に潰していたという(苦笑)。
田村潔司 それで生き残れた人間しかデビューできないっていう時代だったからね。
――インタビューの続きは発売中の「BUBKA6月号」で!
取材・文=堀江ガンツ
田村潔司=たむら・きよし|1969年12月17日生まれ、岡山県出身。1988年に第2次UFWに入団。翌年の鈴木実(現・みのる)戦でデビュー。その後UWFインターナショナルに移籍し。95年にはK-1のリングに上がり、パトリック・スミスと対戦。96年にはリングスに移籍し、02年にはPRIDEに参戦するなど、総合格闘技で活躍した「孤高の天才」。現在は新団体GLEATのエクゼクティブディレクターを務めている。
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