天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る!ミスタープロレス交龍録 第40回「佐々木健介」
俺がリング上で健介と初めて会ったのは、彼が全日本を去って6年半後の93年6月、新日本プロレスの両国国技館だったと思うよ。俺のWARと新日本の対抗戦が始まった中で、健介はホーク・ウォリアーとヘルレイザーズを結成するパワー・ウォリアーに変身していて、他の新日本の選手とはスタンスが違っていた。きっと俺が若手の頃の健介が気になったように、マサ斎藤さんも健介のコツコツやる姿勢を認めて「こいつがちゃんとスター街道を行けるようにしなきゃいけない」って試行錯誤してパワーに変身させたんだと思うよ。あの頃、長州も斎藤さんも健介のことを可愛がって、レスラーとして恰好つくようにしなきゃいけないって四苦八苦してたのは、俺も見ていてわかったよ。武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の3人を闘魂三銃士として一括りにして売り出すのは楽だっただろけど、その下の佐々木健介を一本立ちさせていくのは会社として大変だったと思うよ。
馳との馳健コンビで売り出した時期もあったけど、馳は立ち回りがうまいんだよ。そうすると健介の不器用さが目立っちゃう。その次のパワー・ウォリアーは俺が見ていても苦肉の策だなってわかったもん。意外に健介は満足していたのかもしれないけど、俺は「こういうふうにしてまで、自分を売らなきゃいけないのかな」って思ったよ。まあ、ホークは性格がいいし、ウォリアーズの世界観に触れたのはよかったかもね。
対戦相手としては……パワーの健介は、パワー・ウォリアーでなければならないから、大きくない割には攻撃的なプロレスをやっていたよね。ゴツゴツした感じで、しなやかな感じはなくて、箇条書きしたような試合だった。力は強かったよ。それはマサ斎藤、長州力の影響だと思うよ。いきなり張り手をかましてきて、チョップをバシバシ打ってきて。俺もチョップを十何連発返したはずだよ。健介と小橋建太のチョップ合戦が有名かもしれないけど、俺と健介も……彼がパワーの時も、その後に健介に戻ってIWPGのベルトを賭けて戦っていた時もチョップ合戦をやったっていうイメージがあるんだよね。健介のチョップは小橋よりズシンと響いたね、肺に。俺をムカッとさせるチョップだったよ。
正直、やりにくい相手だよ。相手を自分のテリトリーに引っ張り込むっていう意識が凄く強い男だから、やりづらいんだけど、まあそこはお互いさまだから。自分に強さがないと相手の土俵に持っていかれちゃうだけのことで、自分に強さがあれば、自分の土俵に引っ張れるわけだからね。ただ、健介は攻めばかりのひとりよがりのスタイルだから、彼にIWPGを取られた時(2000年1月4日、東京ドーム)には“こんなクソ健介とやってたって、俺の良さがわかるのかよ”って、負けたけど、いけしゃあしゃあとしている俺がいたよ(苦笑)。
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天龍源一郎|1950年生まれ、福井県出身。1963年に大相撲入り。1976年のプロレス転向後は「天龍同盟」での軍団抗争や団体対抗戦で日本・海外のトップレスラーと激闘を繰り広げ、マット界に革命を起こし続ける。2015年の引退後もテレビなど各メディアで活躍中。
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