プロレス・木村健悟「藤波は童顔でかわいらしい顔して、まだ身体も細かったから『絶対に俺のほうが強いだろ』と思ってたよ」
新日本プロレス旗揚げから50周年。そんな旗揚げの翌年に入門した、生き字引の木村健悟。稲妻戦士としてリングに雷鳴を轟かせた彼が、藤波との伝説的ワンマッチ興行から、海外武者修行、そして、プロレスの師であるアントニオ猪木の存在について語った。感謝の意とともに、激動だった70~80年代を振り返る。
日プロと新日本の練習環境
――3月6日で新日本プロレスが創立50周年を迎えるということで、今日は木村さんに70年代、80年代の新日本の話を聞かせてもらいたいんですよ。
木村 わかりました。でも、ボクが新日本プロレスに入ったのは、旗揚げした翌年からなんだよね。
――73年3月に坂口征二さんと一緒に日本プロレスから移籍してきたんですよね。
木村 そう。ボクは坂口さんのパンツ洗い、付き人だったから。坂口さんに付いていくしか選択肢はなかったんだけど、あの時、日本プロレスに残っていたら今の俺はないと思う。やっぱり大きな分かれ道だったよね。
――木村さんが坂口さんと移籍した翌月に、日本プロレスは崩壊してしまうわけですもんね。
木村 そうだね。あそこで坂口さんに付いていってよかったよ。
――でも、日プロを離脱するのも大変だったんじゃないですか? 一緒に日プロを離脱して新日本に移った大城大五郎さんなんか、最後の試合で桜田一男(ケンドー・ナガサキ)さんにリンチのようにボコボコにされたりして。
木村 ありましたね。だから坂口さんに何かあっちゃいけないということで、坂口さんの試合が終わったらすぐに会場を後にできるように、ボクはクルマを外に待機させて、もう逃げるように出ていってね。
――「裏切り者は許さない」という、仁義なき戦い的な状況ですよね(笑)。
木村 ヤクザとまでは言わないけど、多少はそういう体質があったのかもしれないね。
――そして新日本に移籍するわけですけど、道場での練習は日本プロレスと新日本では違いましたか?
木村 違いましたね。新日本のほうがずっと厳しい練習をやっていて、最初は練習についていくのが大変でしたよ。
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