スタン・ハンセン「『ラリアット』がプロレス技として辞書に載ったりしたら、こんなに光栄なことはないね」
――なるほど。どんな技でも、いかにして自分の代名詞となるような技にするかが問われるわけですね。
ハンセン だから、いまでもラリアットの使い手として、ファンが自分のことを憶えていてくれるのは、非常にうれしいことなんだ。現役時代、ずっと大事にしていた技だからね。
――「ラリアット」は「投げ縄」という意味だと聞きましたけど、すでにプロレス技として日本語になってる感すらありますからね。
ハンセン いま、アメリカの辞書にも日本語の単語が載るようになってるけど、「ラリアット」がプロレス技として辞書に載ったりしたら、こんなに光栄なことはないね(笑)。
――では最後に、もう何度も聞かれているかもしれませんが、これまで日本で闘ってきた中で、一番思い出に残っている試合はなんですか?
ハンセン いやあ、1試合を選ぶということはできないね(笑)。イノキやババとの試合ももちろん印象に残っているし、ブロディと組んで、ジャンボやテンルーたちと闘ったことも思い出深い。そして90年代に入って、次のジェネレーションであるミサワ(三沢光晴)、カワダ(川田利明)、コバシらとやった試合も、それぞれ新鮮で違う刺激があった。だから本当に1試合を選ぶのは難しくて、それはファンの方、ひとりひとりに決めてもらいたいね(笑)。
――ベストバウトは、プロレスファンひとりひとりの心の中にあるわけですね。
ハンセン ひとつ言えるのは、私は本当に対戦相手に恵まれたんだ。長いキャリアの中で、ミスター・イノキに始まり、オールジャパンではミスター・ババ、それに続くジャンボ&テンルー、そしてミサワたち。いわば3世代のトップレスラーたちと闘えたし、その他にも世界中のさまざまなタイプのレスラーと闘うことができた。だからこそ、いろんなタイプの試合を見せることができて、長年ファンを飽きさせずに闘い続けることができたと思うんだ。プロレスは決して一人ではできない。素晴らしいライバルに恵まれたからこそ、私も長年活躍することができたんだ。だから、いまでは闘ってきた彼らみんなに感謝しているよ。現役時代は本気で「潰してやる」と思って、殴り合ってたんだけどね(笑)。
取材・文=堀江ガンツ
スタン・ハンセン|1949年生まれ、アメリカ・テキサス州出身。本国でプロレスラーとして活躍した後、1975年に全日本プロレス初来日。1977年に新日本プロレスに参戦し、アントニオ猪木のライバルとしてブレイクする。1981年に全日本に電撃移籍。2001年に引退。
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