スタン・ハンセン「『ラリアット』がプロレス技として辞書に載ったりしたら、こんなに光栄なことはないね」
――ブロディは、気難しい性格とよく言われますけど、いつも一緒にいて揉めたりすることはなかったんですか?
ハンセン プロレスという仕事において、日本で揃ったときは、ほとんど同一人物かと思うぐらい考えが一致していたんだよ。それぞれのサイコロジーも、嗜好もすべて一緒だった。日本以外の国では、それぞれ別個に活動していたんだけど、いざ日本で合流したときは、完璧に協力し合った。そういうメリハリの利いた関係だったので、問題は何もなかったよ。
――日本での1シリーズで集中して協力し合うスタイルが、良かったわけですね。
ハンセン そして日本では、それまで考えられなかった相手と闘えたことも、いい刺激になったよ。例えば、ハーリー・レイスのような元NWA世界チャンピオンや、ミル・マスカラス&ドス・カラスのようなメキシカン。ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスら、ジュニアヘビー級の選手とも闘ったが、それらすべてが新鮮で、ファンにも喜ばれたと思う。だから、私とブロディを組ませれば成功することは、ミスター・ババもある程度は予測していただろうけど、あそこまでヒットするとは、予想を超えていたと思うよ。
――日本のファンは、いまでも「史上最強のタッグチームはハンセン&ブロディ」だと、みんな言いますからね。
ハンセン ハハハハ、それは私も同意見だね(笑)。
――今回の「馬場没20年追善興行」では、ブッチャーの引退式も行われます。ハンセンさんは新人時代、ブッチャーの影響も受けたそうですね?
ハンセン 70年代の日本では、ブッチャーとタイガー・ジェット・シンのふたりがトップだったよね? 私は幸運なことに、75年に初来日したときブッチャーと一緒で、77年にニュージャパンに初めて上がったときはシンと一緒だったので、彼らの試合を毎日間近で見て勉強することができたんだ。
――日本でのトップヒールのお手本だったわけですね。
ハンセン とくにシンのリング内外での暴れっぷり、観客を興奮させる“暴動テクニック”は大いに参考になったよ。でも、影響を受けたレスラーは彼らふたりだけじゃない。このビジネスに入って最初に参考したのはテリー・ファンクやディック・マードックだし、ミスター・イノキとの出会いで、磨かれていった部分もある。そういう意味で、100%オリジナルなレスラーというのは存在しないと思うんだ。みんな、いろんな選手の影響を受けながら、自分だけのスタイルを見つけていく。そういう中で、私が一番意識したことは、「よりアグレッシブに闘う」ということだった。