ブル中野×玉袋筋太郎『極悪女王』の反響を語る「これを見て女子プロレスに興味を持ってくれた人もいたと思う」

書籍『玉袋筋太郎の全女極悪列伝』が好評発売中につき、記念対談を実施! 著者の玉袋筋太郎が日本人女性初のWWE殿堂入りを果たした「女帝」ブル中野を招き、「極悪」そしてその後の時代を語りました。
17歳にして国民の敵
玉袋筋太郎 これはもう何回も聞かれてると思いますけど、『極悪女王』を実際にご覧になられてどう感じたんですか?
ブル中野 観終わった時にいちばん思ったのは、ダンプさんのご家族の方たちの気持ちがようやく晴れただろうなって。当時、「うちの娘は本当はこんな子じゃないんですよ」とか、「私のお姉ちゃんは悪い人じゃないんだよ」ということを、本当は声を大にして言いたかったと思うんですよね。その気持ちが本当に手に取るようにわかったんですよ。自分の家族もそうだったから。
玉袋筋太郎 そうだよな。ブル様は極悪女王のパートナーなんだから。
ブル中野 でも、家族の人たちは、なんの言い訳もしないでただ見守って、黙っていたと思うんですよ。なんでかっていうと、ダンプさんが“悪い人”になるために、本当に努力していたことを知っていたはずだから。だから何も言わず、言い訳もせず、とにかくダンプさんがやったことに対して近所の方たちに謝りに行くっていうことをやってたと思うんですよ。きっとあの時代、ダンプさん家族と親しかった人や、ダンプさんの親戚や身内で遠のいていった人たちっていっぱいいたと思うんですね。
玉袋筋太郎 絶対いるでしょうね。あんな悪いヤツと親戚だと思われなくないってね。
ブル中野 でも、もしかしたらその人たちが『極悪女王』を見てくれていたら、「そうだったのか」っていうのが今になってわかってくれて。ちょっとでも「大変だったんだな」って思ってくれたらいいし。家族の人たちもこれでようやく声を大にして言えると思うので、その思いが伝わればいいなと思っていますね。
玉袋筋太郎 立派に悪役を全うしたとようやく胸を張れるようになったってことですよね。でも、タメが長いよな~(笑)。『極悪女王』で描かれてた時代なんて、ホントに大変だったと思うもん。
ブル中野 親戚の人たちから「なんであんなことをさせるんだ!」というふうに、うちの両親もすごく言われていたので。
玉袋筋太郎 当時は仕事でヒールをやってるというふうにも思われないですもんね。半分頭を剃っちゃって、「そこまでグレちゃったか」みたいな感じだったと思いますもん。言ってみりゃ、日本一有名な“不良少女”だからね。
ブル中野 実際、私は当時、16~17歳だったんで。
玉袋筋太郎 その歳で、日本中の憎悪を浴びてるんだもん。すごすぎるよ!
ブル中野 当時はもうやるしかなかったですね。
玉袋筋太郎 ドラマを通じて本当のことがようやく伝わるようになって良かったんですけど。一方で、プロレスの中身というか裏側っていうのは、昔は絶対に言わずに守っていたわけじゃないですか。『極悪女王』では、その辺がオープンになってたことに関しては、どう感じてますか?
ブル中野 どうなんですかね。今のプロレスファンの人たちは、エンターテインメントだと思って見ている人が増えたから、ドラマの中でも“ブック”だとか何だとかいう言葉が出てきたと思うんですよ。当時の全女では絶対に言えなかっただろうし。でも、ピストルとかブックとか、あったなかったに関わらず、あの試合をあの時代の全女の選手達は年間300試合していたということの方がすごくないですか?
玉袋筋太郎 しかもその上でハードコンタクトだったり、試合の中で本当にケンカしているようなのが全女では日常茶飯事で。試合自体のレベルの高さもすごかったじゃないですか。
ブル中野 みんなプロでしたね。
玉袋筋太郎 みんなプロだよ。俺もファンとして、そこをもっと多くの人に知ってほしいなっていうことは、ずっと思ってたことだからさ。これまで全然、女子プロレスを知らない人でも『極悪女王』を見て、「こんなすごい世界もあるんだ」と思ってくれたらいいなと思うし。ホントに意義がある作品だったと思いますよ。
ブル中野 実際、「プロレスは見たことがないけどおもしろかった」という声が多かったみたいなんですよ。だからこれを見て女子プロレスに興味を持ってくれた人もいたと思うので、それはうれしいですね。
玉袋筋太郎 俺もね、ブル様とアジャさんの金網デスマッチとか深夜にテレビで観ながら、これをもっとたくさんの人たちに観てほしいって思ってたから。あの頃っていうのは、ダンプさんが引退して、「自分が引っ張っていかなきゃ」って覚悟を決めたわけですよね。
ブル中野 ダンプさんが引退される前から、なんとなく私とダンプさんは違う方向に行ってたんですよ。
玉袋筋太郎 ダンプさんは凶器攻撃中心。でも、ブルさんは技で魅せるヒールをやろうとしていたわけですよね。同じ極悪同盟でヒールやってても、その考え方が違ってきたっていう。
ブル中野 だからダンプさんが引退したあと、「これでようやく本当に自分がやりたいことができるんだ」って思ったんですけど。自分が悪役のトップに立って初めて、ダンプさんの偉大さを知りましたね。
玉袋筋太郎 やっぱりそうなんですね。

一度きりの金網
ブル中野 ダンプさんが引退したあと、自分で何でもやっていいとなった時、ダンプさんが「陽」の悪役だったので、私は「陰」になろうと思って、真逆のことをし始めるんですけど、もう迷走してましたね。あの時期、クラッシュ・ギャルズも引退して、どんどんお客さんは減っていくし。それはトップである自分の責任だとおもってたので、いろいろ考えすぎていちばん迷走していた時期でした。
玉袋筋太郎 いわばブームの谷間の時期だったわけじゃないですか。その時、松永四兄弟はどういうふうに言ってたんで
すか?
ブル中野 初めは「北斗(晶)と堀田(祐美子)を売り出すから、クラッシュが引退しても構わない」みたいに言ってたんですよ。でも、北斗が首の骨を折ってそれができなくなって。じゃあ、次は堀田と西脇(充子)で売るからってなったけど、売れねえだろうなと思ってました(笑)。
玉袋筋太郎 ファイヤージェッツじゃ無理だろうと(笑)。
ブル中野 次に西脇とメドゥーサを組ませて日米美女タッグみたいな感じで売り出したけど、これも絶対にダメだろうなと。そして北斗が復帰してきて、北斗とみなみ(鈴香)で海狼組(マリンウルフ)、それも絶対ダメだと思って。
玉袋筋太郎 そのブル様の「ダメだろうな」っていう確信は、どういったところからだったんですか?
ブル中野 最初の堀田と北斗だったら、クラッシュまではいかなくてもそこそこ行けただろうなと思うんですよ。両方ボーイッシュでファンも付いていたし。でも、それ以外はそんなスター性もないし、媚び売って会社に売ってもらってるようなヤツらばかりだったんで。
玉袋筋太郎 松永兄弟へのゴマスリか。
ブル中野 そんなことばっかりやってるヤツは、お客さんの心をつかめない。あとは必死さが感じられなかった。ただ、順番に売り出してもらってレコードやCD出してもらって満足してたんじゃないかと思いますね。
玉袋筋太郎 ゴールの設定が手前すぎるんだろうね。憧れのクラッシュ・ギャルズと同じリングで試合ができて、リングで歌が唄えたら、夢がほぼ実現してるようなさ。うちの一門だって、殿(ビートたけし)の付き人になれたとか、『スーパージョッキー』に出られただけで満足してるようなのいっぱいいたから。「芸人としてどうなんだ?」「おまえ、それでいいの?」って思ったけど、全女にも同じようなことがあったってことですね。
ブル中野 そういう感じはありましたね。
玉袋筋太郎 でも、ブル様はアジャさんとの抗争で、どーんと落ちた観客数をまた戻して、V字回復させたわけだから、そりゃ意識から何から全然違ったと思うよ。
ブル中野 アジャっていう、本気で殺したくなるほどのライバルがいてくれたおかげですね。
玉袋筋太郎 そうやって言えるのが素晴らしい。だから『極悪女王』の続編、もしくはスピンオフとして、ブル中野物語をやってほしいってずっと思ってるんですよ。
ブル中野 そうやって思ってもらえるのはうれしいですね。
玉袋筋太郎 ただ、今回の『極悪女王』に出た女優さん、剛力(彩芽)ちゃんも唐田(えりか)ちゃんもすげえ頑張ったと思うけど、もしブル中野物語をやるとしたら、金網のてっぺんからのギロチンドロップのシーンは外せないわけだから。いくら女優さんが体を鍛えても、あんなのできない!
ブル中野 あれを受けるアジャ役の人も嫌でしょうしね(笑)。
玉袋筋太郎 嫌だよ。死んじゃうよ。それをCGやワイヤーアクションにしちゃったらおもしろくないわけでさ。だから、映画でもドラマでも再現できないようなすごいシーンを目撃できた俺たちっていうのは、贅沢なもんを見てたなって思いますよ。
ブル中野 ありがとうございます。
玉袋筋太郎 『中野のぶるちゃん』が営業してた頃は、そのブル様と気軽に酒が飲めてさ。これもぜいたくだったよ(笑)。
ブル中野 玉ちゃん、よく来てくださいましたもんね(笑)。
玉袋筋太郎 いやあ、良かったよ。そして、あの時代の全女の素晴らしさは、今回出した『玉袋筋太郎の全女極悪列伝』にもたっぷり載ってるということで、最後は宣伝でシメさせていただきます。中野さん、ありがとうございました!
文・構成=堀江ガンツ
ブル中野プロフィール
ブル中野=ぶる なかの|1968年1月8日生まれ、埼玉県で育つ。1983年に全日本女子プロレスに入門、ダンプ松本率いる極悪同盟の一員として活躍する。獄門党を結成後はアジャ・コングとの抗争、金網デスマッチで一世を風靡。1993年よりアメリカのWWF(現WWE)に参戦、世界女子王座を獲得する。2024年、日本女子レスラーとしては史上初となるWWE殿堂入りを果たした。
玉袋筋太郎プロフィール
玉袋筋太郎=たまぶくろ すじたろう|1967年6月22日、東京都生まれ。高校卒業後、ビートたけしに弟子入りし、1987年に水道橋博士と「浅草キッド」を結成。テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中。スナックをこよなく愛し、社団法人全日本スナック連盟会長も務める。

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