2023-12-03 10:00

吉田豪「What’s 豪ing on」Vol.12 曽我部恵一「中2のときの自分にとって誠実かどうか」

「BUBKA1月号」に登場している曽我部恵一
「BUBKA1月号」に登場している曽我部恵一
撮影/河西遼
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吉田豪によるミュージシャンインタビュー連載。第十二回のゲストは曽我部恵一。サニーデイ・サービスやソロミュージシャンとして、30年以上にわたり、非常に多作で多彩な活動をしてきた彼に、下北沢でお話を聞いてきました。

洗脳されっぱなし

――この連載には、くるりの岸田繁さんにも出てもらってて。原稿にはなってないんですけど、そこで聞いた曽我部さんのエピソードが無茶苦茶おもしろかったんですよね。

曽我部恵一 え、なんですか?

――デビュー前にくるりがサニーデイの下北沢でのライブに誘ってもらって打ち上げに行って、そこに某音楽雑誌の編集者がいて……みたいな話ですけど、覚えてます?

曽我部恵一 はいはい、ぼんやりと。彼が泣いた話ですか。あったあった、あれなんでだっけなあ?

――「君はどんな音楽が好きなの?」って話になって、「椎名林檎ですかね」って答えたからみんなが詰めたっていう(笑)。

曽我部恵一 ハハハハハハ! それは覚えてないけど、俺が断片的に覚えてるのは彼がエコー&ザ・バニーメン(※78年にリヴァプールで結成されたイギリスのポスト・パンクバンド)を知らない、みたいな。「エコバニ知らないの? エコバニ知らないで音楽誌やってんの?」とか言って、最終的にその彼が泣いたっていう記憶はあります。でもその場にいた全員がめちゃくちゃ酔ってたんで、断片的です。

――岸田さんがかなり克明に覚えていて。

曽我部恵一 ハハハハ! いい話ですね(笑)。

――気持ちはわかるんですよ。ボクは椎名林檎も大好きだけど、そのときその話題で名前を出すのはたぶん間違ってるはずなので。でも、すごくあの時代っぽい話だなっていう。

曽我部恵一 はい。なんかあの頃、音楽雑誌が元気よかったじゃないですか。だから雑誌の編集の方とすごい交流があったんです。毎週のように会うし、取材終わったら飲みに行こうかみたいな感じで『ロッキング・オン・ジャパン』の人たちと飲むとか、ソニーマガジンも音楽誌がいくつかあってその人たちと飲むとか、そういうのがふつうに行なわれてて。

――いまよりもコミュニケーションが密だからこそ起きた事故だったってことですね(笑)。

曽我部恵一 まあ事故ですね(笑)。

――その件と関係あるかどうかはわからないですけど、曽我部さんは完全にパンクの洗礼を受けた人だなって印象があるんですよね。

曽我部恵一 そうですね、ロックに夢中になるのがそこから始まっちゃったんで。最初は中1でブルース・スプリングスティーン(※49年生まれ。アメリカの若者、労働者の声を代弁する存在として支持を集めた。代表作は『明日なき暴走』(75年)、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(84年)など)とかプリンス(※58年生まれ。ファンクやロック、ソウル、ポップなど多様な音楽性で、後続アーティストに多大な影響を与えた。16年死去)にハマッていったんですけど、親戚のお兄ちゃんか先輩かに録ってもらったカセットをかけてみたらセックス・ピストルズ(75年結成。約2年半の活動で、パンク・ロックの象徴に。唯一のスタジオ・アルバムは『勝手にしやがれ!!』(77年))だったんですよ。『さらばベルリンの陽』が始まって、ジョニー・ロットン(※56年生まれ。ピストルズのボーカルで、解散後はパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)を結成)のあのうなり声を聴いたときに背筋に電流が流れたというか、あんなことってあんまりないんですけど、すべて悟ったというか。初めて射精した瞬間というか、それくらいの衝撃だったんです。

――もはや人生が変わった瞬間というか。

曽我部恵一 変わった。そこから「これだ」と思って、これをやろうっていうふうになってきたかな。でもやり方もぜんぜんわからなかったから、すぐバンドやるとかではなかったんですけど。やったー!!って感じだった。

――当時は学校もつまんないし、親も好きじゃないし、全員死ねと思ってたりで。

曽我部恵一 そうそう。少年はFUCK YOUっていう感情が満ちあふれてるんだけど、ピストルズはそれを表現してたし、表現ごとっていうのは絵をきれいに描いたり、歌をきれいな声で歌ったりっていうことだと思ってたから、ネガティブなものを直接ぶつけてカッコいいものにできるんだと思って、衝撃でした。

――ただ、よくそこでそっちに行き切らず、ザ・クラッシュ(※76年結成。デビュー・アルバム『白い暴動』(77年)で成功を収め、音楽性の広げると同時に政治的スタンスも明確に活動を行った。86年解散)の「エルヴィス(・プレスリー)もビートルズもローリング・ストーンズもいらない」という言葉に洗脳されずに済みましたね。

曽我部恵一 ハハハハ! でも最初はそうでしたよ、パンクしか聴いてなかったから。雑誌も『DOLL』(※80年創刊の音楽雑誌。国内外のパンク・ロックを中心に取り上げていた。09年休刊)を中心に読んでましたからね。

――ボクはその洗脳がなかなか解けなくて、ビートルズをちゃんと聴いたのも30歳過ぎてからでしたからね。なぜかトリビュート盤は買っていいルールで曲は知ってたけど。

曽我部恵一 俺らもビートルズを聴いたのは90年代に入ってバンドやり始めてからで、95年とかに、オアシス(※91年にマンチェスターで結成されたイギリスのバンド。2ndアルバム『モーニング・グローリー』(95年)は全世界で2500万枚以上のセールスを記録。09年解散)からもう一回ビートルズを教えてもらったっていう感じ。ビートルズやっぱ最高なんだ、みたいな感じでもう一回オリジナル盤を集めて聴き始めた感じで。

――やっぱり洗脳にはかかってたんですね。

曽我部恵一 うん、いまだにかかってるんでしょうね。ずっとパンクなのかどうなのかっていうものを考えて生きてるところはあるかもしれない。「それってホントにパンクなの?」とか。でも、パンクは優しいからパンクなんだっていう言い方もたしかに正しいし。パンクというものに道筋を教えてもらったから、どれがホントにパンクなんだろうっていうのはいまだにずっと考えてるから、そういう意味では洗脳はぜんぜん解かれてないです。

――確かに、これをやるのはパンクとしてありかなしか、みたいな発想になりますよね。

曽我部恵一 そうそうそう。自分がパンクスだとも思ってないんですけど、パンクが宗教みたいに自分のど真ん中にあるんでしょうね。

――パンクにどっぷりだった時代の音源が残ってたらおもしろかったんですけどね。

曽我部恵一 実は僕が東京に出てきたとき、先に東京に出てきてた同級生のヤツがカセット持ってて家で聴かせてくれたんです。それは中2のとき最初にやったライブで、ドラムは中1で、僕と友達と3人組だったんですけど、久しぶりに聴いてカッコいいなと思いました。全部コピーでザ・ジャム(※72年にポール・ウェラーを中心に結成。「モッズ・リバイバル」の象徴的存在としても知られる。82年解散)、バズコックス(※76年にピストルズの影響を受けて結成されたバンド。ポップ・パンク、パワー・ポップ的なメロディアスな楽曲が特徴的)、ピストルズ、クラッシュ、ダムド(※76年結成。ピストルズ、クラッシュとともにロンドンの3大パンクバンドに数えられることも多く、『地獄に堕ちた野郎ども』(77年)はロンドン・パンク初のアルバムとしてリリースされた)とかやってたんですけど。地元にヤマハがあったんですけど、コンテストライブみたいなヤツで、エントリーしたら誰でも出られるんですよ。それが初ライブで、最後にプロが演奏するんですけど、それがJaco:neco(※80年代から活動し、89年にメジャーデビューした女性3人組バンド(当時))だったんです。

――その音源リリースしましょうよ。

曽我部恵一 ハハハハハ! そいつに言ったら出てくるかな。意外とカッコいいじゃんと思って。それがFMで放送されるんですよ、だからたぶん録音は残ってたんでしょうね。

――そこまでどストレートなところから、よくこういう音楽性になっていきましたよね。

曽我部恵一 そのあとパンクだった人たちが変容していったんですよ。ヤンキーの先輩がみんなジャパコアにいってガーゼ(※81年に結成されたハードコア・パンクバンド。自主企画「消毒GIG」をはじめとするライブを中心に活動。22年解散)とかのコピバンになっていくんですけど、結局ヤンキーなんですよ。パー券売ってこいとか、そういう世界から出られない(笑)。かたやサブカルチャーとしてパンクだった人たちは変容していくことがパンクだったから、ハウスにいったりスカにいったりして。ど田舎だったんでクラブもないんですけど、閉まったレストランとか借り切ってターンテーブル持ってったりしてパーティーやるんですよ。いまでいう「ロンドンナイト」(※音楽評論家の大貫憲章が80年から始めたパンク、ロックのDJイベント)の選曲なんですけど、こっちのほうが平和的で楽しいなと思って。ヤンキーの先輩のほうがホントにパンクなんだけど、怖いとこがあって。それで僕もハウスも聴くしスカも聴くし、でもパンクなんだってことで、いまに至る感じ。いろいろ上ものは変わっていくんだけど、結局はパンクなんだっていうのは変わってないかもしれないです。

――そして渋谷系の波がきて。

曽我部恵一 そう、東京に出てきたときは渋谷系でしたね。僕はマンチェブーム(※80年代後半から90年代前半に、マンチェスターを中心に起こったムーブメント。ストーン・ローゼズやハッピー・マンデーズなどが牽引した)がデカかったです。初めてのリアルタイムムーブメントだったから。あれはちょっと食らいました。

――パンクはグラインドコアぐらいしかリアルタイムではムーブメントがない時期だし。

曽我部恵一 そうそう。USハードコアって僕らが中学生ぐらいのときは情報としてあんまり入ってこなかったんですよね。あとになって銀杏BOYZ(※GOING STEADYを解散後、03年に峯田和伸が始めたバンド)とかにLOS CRUDOS(※91年にシカゴで結成されたアメリカのハードコア・パンクバンド。ラテン系メンバーのみで構成されている)とか、そういうハードコアのカッコいいDIYな世界がずっと脈々とアメリカではつながってるんだよっていうのを教えてもらったりして。

――当時、日本盤が出ていたのはラモーンズ(※74年に結成されたアメリカのパンクバンド。メンバー全員が「ラモーン」姓を名乗っていた)とトイドールズ(※79年に結成。パンク・ロックにコミカルでユーモアのある遊び心を取り入れたスタイルが特徴)ぐらいで、それがバンドブームにも影響を与えたという。そんな時代に衝撃を受けたのがフリッパーズ・ギター(※87年に前身バンドであるロリポップ・ソニックとして活動を始め、89年に改名。当初は5人だったが、小山田圭吾と小沢健二の2人体制となり、90年に『CAMERA TALK』をリリース。91年解散)で、それに続く衝撃がサニーデイだったんですよ。

曽我部恵一 あ、ホントですか? フリッパーズ・ギターにはすごい影響を受けてるし大好きだったんで、みんなあれを追っかけて、あそこに続けってなってたじゃないですか。僕らもそれをやろうとしたんだけど、どうもできなかったというか、根が違うというか。

――あっちは根っからの東京っ子というか。

曽我部恵一 そう、こっちは田舎から出てきたから。しかも元パンクだと、これはちょっとしょうがねえなっていう感じでしたね。

――小山田(圭吾/69年生まれ。91年からCorneliusとして活動。23年6月に6年ぶりのアルバム『夢中夢』をリリース)さんも高校時代、GISM(※81年に結成されたハードコア・パンクバンド。活動スローガンである「anarchy&violence」を地で行く暴力的なステージを行っていた。02年に事実上の解散である「永久凍結」)のカヴァーとかやってたんですけどね(笑)。

曽我部恵一 カジ(ヒデキ/67年生まれ。86年から音楽活動を始め、87年にネオアコバンド・BRIDGEを結成。小山田圭吾主宰レーベル・トラットリアよりデビュー。95年にバンドを解散し、翌年ソロデビュー)くんが最近、NAOKI(※65年生まれ。LAUGHIN’ NOSE、COBRA、DOG FIGHTの元メンバーで、現在はSAのギタリストとしても活動)さんと『GET THE GLORY』を歌ってる動画を上げててアツいなと思いましたけど、根底ではどっかでつながってるから。フリッパーズ・ギターも最初に知ったのは『DOLL』の新人アーティストのところで。ラフトレード(※78年に創設されたロンドンのインディーズレーベル。ザ・スミスが解散するまで所属し、破産により一時休止していたが、00年に再開)とかポストカード(※79年に創設されたグラスゴーのインディーズレーベル。オレンジ・ジュース、アズテック・カメラを輩出した)とかが好きなバンド出てきたんだと思って。ああいう存在がちょっと上にいたのはすごい大きいし、同時代の人たちはたいへんだったんじゃないかな。

――同じ路線だと勝てないですからね。

曽我部恵一 うん、僕らは真似しようとしてみたものの、ホントに資質と違うことに気づいてつまずき、そこで自分たちを見直す時間というのがあったんで。そしたら、ちょうどメンバーが和モノにハマりだした頃だったので。

――渋谷系のディグ文化があって、じゃあみんながあんまり掘ってないところを掘ってみようか、みたいなことになったわけですね。

曽我部恵一 渋谷系がみんな「俺たちはサントラだ」とか「俺たちはネオアコだ」とかだったら、俺たちは四畳半フォークを渋谷系の文脈でやったら、これは誰もやってないでしょ!っていうのはあったんでしょうね。これイケるかもっていうのはちょっと感じてました。

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曽我部恵一そかべ けいいち|1971年、香川県出身。1990年代初頭よりサニーデイ・サービスのヴォーカリスト/ギタリストとして活動を始める。95年に1stアルバム『若者たち』をリリース。04年に自主レーベル・ROSE RECORDSを設立。バンド/ソロを並行し、プロデュースや楽曲提供、映画・CM音楽、執筆、俳優など幅広い表現活動を続けている。

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BUBKA (ブブカ) 2024年 1月号表紙:日向坂46佐々木久美、潮紗理菜、加藤史帆

「BUBKA2024年1月号」内容紹介

表紙
日向坂46 潮紗理菜・加藤史帆・佐々木久美

巻頭特集
・潮紗理菜×加藤史帆×佐々木久美(日向坂46)ロンググラビア&インタビュー
「Smile for you」

・高本彩花(日向坂46)グラビア&インタビュー
「Sugar&Spice」

・濱岸ひより(日向坂46)インタビュー
「サヨナラの笑顔を」

・松田好花(日向坂46)インタビュー
「募る思いをマイクに乗せて──」

グラビア・インタビュー特集
・インタビュー連載 23人の空模様
vol.04 工藤唯愛(僕が見たかった青空)
「道産子14歳の素顔」

・石橋颯×竹本くるみ(HKT48) インタビュー
「空も飛べるはず」

・田中美久(HKT48) インタビュー
「わがアイドル人生に悔いなし」

・正鋳真優(AKB48)グラビア&インタビュー
「She’s lovin it」

グラビア&スペシャル企画
・紀内乃秋 グラビア
「Super nova」

・石浜芽衣(虹のコンキスタドール) グラビア
「おもかげ」

・ちばひなの(少女歌劇団ミモザーヌ) グラビア
「プロローグ」

・ミスティア! インタビュー
「明日にきらめく夢の結晶」

・「GIRLS IDOL Fashion Snap」Produced byチェキチャ!

スペシャル記事
・吉田豪インタビュー「What’s 豪ing On」
第十二回 曽我部恵一
「中2の時の自分にとって誠実かどうか」

・伊賀大介×プロ野球死亡遊戯(中溝康隆)×生田登
スペシャル野球座談会「阿部慎之助監督で“盟主”復活となるのか!?」

・『Rの異常な愛情』特別インタビュー
LITTLE×R-指定
「踏みたりないふたり」前編

・田村潔司連載
「解析UWF」最終回

BUBKAレポート
・Book Return
第61回 森合正範
「怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ」

・すべての球団は消耗品であるbyプロ野球死亡遊戯
#14「1979年の広岡ヤクルト」

・アイドルクリエイターズファイル
#35 Dorian

・宇多丸のマブ論

「BUBKA2024年1月号」表紙を飾る日向坂46佐々木久美、潮紗理菜、加藤史帆
「BUBKA2024年1月号」表紙を飾る日向坂46佐々木久美、潮紗理菜、加藤史帆
「BUBKA2024年1月号」両面ポスター日向坂46佐々木久美、潮紗理菜、加藤史帆
「BUBKA2024年1月号」両面ポスター日向坂46佐々木久美、潮紗理菜、加藤史帆
「BUBKA2024年1月号」両面ポスター日向坂46潮紗理菜
「BUBKA2024年1月号」HMV&BOOKS online特典 日向坂46佐々木久美、潮紗理菜、加藤史帆ポストカード
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「BUBKA2024年1月号」セブンネットショッピング特典 日向坂46高本彩花ポストカード
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