吉田豪「What’s 豪ing on」Vol.6 堂島孝平、いい曲を書くことが自分を励ます唯一の方法
吉田豪によるミュージシャンインタビュー連載。第六回のゲストは、堂島孝平。「ポップマエストロ」の呼び名の高い彼の音楽との向き合い方、デビュー30年に向けて音楽とともに作り続けてきた人生について語ってもらった。
ナチュラル・ボーン・MC
――以前、ボクのSHOWROOM番組『豪の部屋』(2021年6月8日配信回)に出てもらったときは、堂島さんがちょうどアンジュルム(注:2009年にハロプロエッグ(当時)のメンバーによって結成され、14年にスマイレージから改名。山里亮太や蒼井優、菊池亜希子など有名人のファンも多い)に目覚めた時期だったから8割がその話で、音楽の話がゼロだったんですよね。だから改めて取材にきました!
堂島孝平 豪さんがそう言ってくれるのはうれしいなと思いつつ、『豪の部屋』のときはなんで豪さん自分のこと呼んだんだろうなって半分ぐらいは思ってて。そしたらどんどんアンジュルムの話になって。自分もまだ話し慣れてないし、いまでもそうなんですけど……。
――あれでかなり人生が変わりましたよね。
堂島孝平 そうですね。それまでは漏れちゃうというようなノリで自分のYouTubeだったりで発信しながらも、大々的に伝播していくというか、そういうのはなかったので。
――そしたら、あの番組をメンバーが観ていたことで彼女たちに曲も書いたり、アンジュルムの番組でMCもするまでになって。
堂島孝平 そうなんです! 自分がMCするとなったら身の振り方をどうするかわからないところもあって。「うわ、アンジュルムだ!」みたいなことをやってると成立しないじゃないですか。だから普段どおり、MC仕事をやるスイッチでやったら思いのほかうまくいって。プロデューサーさんにも「MCに徹しようと思ったら冷静にやれました」って言ってたんですけど、その日の夜に思い出そうと思ったらぜんっぜん思い出せなかったんですよ、そこで何が起こったか(笑)。
――つくづく不思議な人生ですね(笑)。
堂島孝平 でも、好きなものが仕事になるという現象がたまにある人生なんですよね。仕事にしたいということではなく、好きだったものが自分の活動と偶然つながってくることがたまにあって。その最新がアンジュルムで最大もアンジュルムかもしれないですけど。
――その最大は音楽だと思いますよ!
堂島孝平 ハハハハハハ! そうなんですけど最近はおかげさまで人生楽しいです(笑)。
――……という話を枕に本題に入ります。もともと学校には馴染めたタイプでしたか?
堂島孝平 人見知りもあんまりないし、物怖じみたいなのもそんなにないほうだったので、だいたいクラスの学級委員にさせられる感じでした。「堂島くんがいいと思います」って。
――その頃からMC能力があった(笑)。
堂島孝平 人前に立つことを嫌だなと思ったことがないし、そういう意味では慣れがあったのかもしれないです。これ大人になってから聞いた話なんですけど、学年が上がって担任が替わるじゃないですか、そこで先生たちのあいだで、「堂島くんがいるクラスの担任を取れ、そしたらめっちゃ楽だ」って言ってたらしいんですよ。自分はホントにそれが意外で、ただ普通にやってただけなんですけど。
――たぶんうまくまとめてたんでしょうね。
堂島孝平 そうだったんでしょうね。自分はそれが好きでしたわけでもないし、それを自慢に思う気持ちもないんですよ。中学校3年生のとき生徒会長を決める選挙があったんですけど、立候補した人たちがみんなの前でスピーチするときに、1コ下の中2の子が歌をうたったんですよ。そういうのってウケるからその子が生徒会長になって。僕はノータッチで野球部だったんですけど、練習が終わったら先生に「ちょっと職員室に来い」って言われて、自分が何かやらかしたのかなと思って。で、職員室を開けたらホントに全部の先生が勢揃いしてて、めっちゃ恐い先生もいて、やばいと思ったら「2年生が生徒会長になったのわかるよな、なのでおまえが生徒会に入れ」って、ぜんぜん関係ないのに生徒会議長というポストを用意されて。
――立候補もしてないのに。
堂島孝平 してないのに(笑)。何をしてくれと言われたかっていうと、全校集会のMCをやれって言われたんですよ。1コ下の子は先輩にビビッてやれないから、「そのときだけでいいから堂島が来て生徒会議長で議題を捌くっていうのをやってくれ」って言われて。
――生まれついてのMCじゃないですか!
堂島孝平 ただ、それがゆくゆく自分にとっては疑問になっていくんですよ。環境がそうさせてるだけで自分の本質は特にそうじゃないんじゃないか、みたいな。そういうふうに考えてたら、ちょうど高校卒業してデビューのタイミングぐらいで初めてひとり暮らしになったときに集団と交わることがなくなっていって、俺やっぱり人見知りかもなと思って。
――え?
堂島孝平 自分にすごい疑問を持ち続けてたんですよ。周りに人がいないとめっちゃ楽だなと思って。そういう意味では自分を研ぎ澄ませていくみたいな期間があったんですよね。
――いろいろしんどかった時期ですね。
堂島孝平 そうです。でも、突っ込んでぶつかる相手が大人たちになっていって、バンドを組んだり人と何かやるときに、結局いろんな人と知らないあいだにコミュニケーションを取りながらやっていくみたいなことが音楽だなって逆に思っていくんですよね。人見知りっぽいなと思ってたんだけど、やっぱ人見知りじゃないな、俺、明るいんだなと思って。
18歳の反抗
――自分だけがわかってなかった(笑)。デビューのきっかけは93年の『YOKOHAMA HIGH SCHOOL HOT WAVE FESTIVAL』(注:1981年から行われていた高校生を対象としたバンドコンテスト。第6回から横浜スタジアムで決戦大会が行われ、堂島は第14回に出場)に出場したことなんですよね。ボク、ほぼ記憶から消してましたけど88年の『HOT WAVE』になぜか友達と行ってますよ。
堂島孝平 そうだったんですか。あれって友達を応援で呼ばなきゃいけないんですよね。
――そうしないと高校生だけで横浜スタジアムはなかなか埋まらないですからね。
堂島孝平 はい、5万人ですから。それに出て。
――でも、あれ基本バンドで出るものですよね。ソロはほぼいなかったじゃないですか。
堂島孝平 そうなんですよ。小学校高学年ぐらいでザ・ブルーハーツ(注:85年結成、87年メジャーデビュー。『リンダリンダ』『人にやさしく』など今なお愛される楽曲が多数。95年の解散後は、甲本ヒロトと真島昌利が中心となってTHE HIGH-LOWS(05年解散)、ザ・クロマニヨンズとして活動)を知って、丸坊主の人が歌ってるの初めて観たんですよね。服装も白Tシャツボロボロみたいな。カメラとかそっちのけで飛び跳ねて歌ってるから、そのときに音楽ってやっていいものなんだと思ったんですよね。それで中1から歌詞を書き始めるんです、曲もないのに。親父が使ってたギターがあったけど、まったく弾けないまま中3ぐらいになって、そのときの僕の知識で、アルバムっていうのはだいたい12曲で1枚になってるなって気づいて、だから詞を12篇書いたらホチキスで留めてリリースして。
――歌詞だけなのにアルバムとして(笑)。
堂島孝平 で、中3の12月にギター弾けるようになったときに、もう9枚ぐらいリリースされてたんですよ、詞が。そこからザ・ブルーハーツの『キスしてほしい』の4つのコードを最初に覚えて1週間で曲を作って。それがそのまま高校3年間の一番大好きな遊びになって。ホントはバンドをやりたくて曲を作ってたんですけど、そうやってたらバイト先の先輩に「『HOT WAVE』に出してみな」って言われて、そのまま決勝までいって。
――それですぐに大人から声がかかった?
堂島孝平 そうなんです、優勝とかもしてないのに。だから、ちょっと前でいうと『閃光ライオット』(注:ラジオ番組「SCHOOL OF LOCK!」(TOKYO FM)とSony Musicの主催で08~14年に開催されたティーンエイジャーのためのロックフェス。初代グランプリのGalileo Galileiを皮切りに、ねごと、GLIM SPANKY、ズットズレテルズらを輩出。23年8月に9年ぶりに復活予定)とか、当時なら『BSヤングバトル』(注:NHK主催で90~99年に開催されたアマチュアバンドコンテスト。シャ乱Q、大事MANブラザーズバンド、黒夢、ポルノグラフィティなどを輩出)とかヤマハの『TEENS’ MUSIC FESTIVAL』。そっちは同世代だとaiko(注:75年生まれ。98年に1stシングル『あした』でメジャーデビュー。99年の3rdシングル『花火』でのブレイク以降、『カブトムシ』、『ボーイフレンド』などのヒット作を連発)とか出てるんですけど。『HOT WAVE』っていうのはスタッフも出るほうも高校生で音楽の甲子園みたいな、エモさがある世界で。
――そこが正直つらかった記憶があって。
堂島孝平 はい、わかります。わかるって言っちゃいけないかもしれないけど(笑)。そういうエンタメだったんで。僕もそれわかって出たわけでもなかったけど、大人が介入してないのが売りで。ただ実際、他に運営してる人たちはいたし、優勝したらデビューしますみたいなものでもないのに、メーカーの人が青田買いをしに来ていて、そこで日本コロムビアの人たちが「あの子おもしろいな」って話になって、急にそういう道になっていって。
――事務所はどうやって決まったんですか?
堂島孝平 その『HOT WAVE』を運営してるそこが、もう事務所として決まっちゃってる状態なんですよ。だから「契約するならウチで」っていうやり方で。『HOT WAVE』は、いんぐりもんぐりっていうのが……。
――後のTHE INGRY’S(注:85年に「HOT WAVE」に出演するために結成。同年、同コンテストでグランプリに輝いた)ですね。
堂島孝平 INGRY’Sさんが事務所の先輩だったんですよ。あとはJEHOさんっていう高木完(注:61年生まれ。中学時代からパンクに傾倒し、79年にFLESHのボーカリストとしてデビュー。ヒップホップ黎明期の86年には藤原ヒロシとタイニー・パンクスを結成。日本初のクラブミュージックレーベル「メジャー・フォース」設立者の一人)さんとかがプロデュースで東芝からデビューした先輩がいて、そういうところでしたね。
――よくわからないまま急に道ができて。
堂島孝平 そうです。自分も音楽でやっていこうなんて思ってないし。やれたらいいなとは思ってたんですけど、もっと幅広くて。なんでもいいから音楽に携わることだったらいいな、ぐらいの感じだったんですよ。
――バンド組んだりライブやったり、もうちょっと経験を積んでからって考えますよね。
堂島孝平 そうなんですよ豪さん! ホントに!
――大学とかで人間関係を広げながら。
堂島孝平 そうなんですよ! 最初の話に立ち返りますけど、ひとりで5万人の前でパフォーマンスしてもとにかく怯まなかったという、持って生まれた環境に育てられた振る舞いみたいなものがあっただけで、自分がどういう音楽を作りたいかも考えたことなかったし。
――ギター弾き始めたばっかりですもんね。
堂島孝平 そうですよ、曲を作り始めて2年ぐらいしか経ってないのにそういう話が来てるって言われて、初めて「え、俺は才能あるのか!?」と思ったぐらいだったんで。それもコロムビアから話が来てるって言われて、てっきり育成期間があると思ったんですよ。高3の夏に『HOT WAVE』に出て、その直後ぐらいにデビューの話が来て。ウチは就職か大学かっていう家だったので、それやりたいんだったら大学に行けっていう急展開になって、その大会で一芸入試を受けられるってことで神奈川大学に入って。20歳ぐらいまでいろいろ活動して固めてからやりたいなとも思ってたら、大学1年の冬にもうデビューだったんで、実質4月からデビューに向けて曲を書け、みたいな状態になって、当時は半年前にはアルバム上げてないといけない状態だったんで、夏にはもうデビューアルバムがないといけなかったんですよね。だからよかったのか悪かったのかって言われたら、若いときはそれが自分にとってはマイナスだったんじゃないかなと思っちゃってたんですけど。
――もうちょっと音楽性が固まってからデビューしたほうが良かったとか思いますよね。
堂島孝平 そうです。出自って思った以上にリスナーとか業界のみなさんは気にするというか。そういう意味では僕は自分がやりたいことにたどり着くまでに音楽性も1枚1枚変わってるし、定まらないのが食いつきにくいところでもあっただろうし。固まってから出てたらもっと広く知れ渡るようなことにもなったかもしれないしとか思ったんですけど、でも結局、自分はドキュメンタリー方式でデビューしたと思ってるんですよ。1枚目からどんどん葛藤してるミュージシャンの記録になってるので。そういう環境だったからこそ気づけたことが多かったし、トライできる音楽の選択肢が増えた。定型というものを自分が持ってない状態でデビューした結果、自分のことをやりながらちょっとしたプロデュースをしてるような状態になっていたので、それはよかったポイントだと思うんですよ。
――まだまだ続くインタビューは発売中の「BUBKA7月号」で
取材・文/吉田豪
堂島孝平=どうじま・こうへい|1976年2月22日、大阪府生まれ茨城県取手市出身。95年に『俺はどこへ行く』でメジャーデビュー。ソロ活動だけでなく、堂島孝平×A.C.E.や堂島孝平楽団など様々な編成のフロントマンも務める。KinKi Kids、藤井フミヤ、PUFFY、藤井隆、坂本真綾、アンジュルムなど、アーティストへの楽曲提供も多数。最新アルバムは22年8月発売の『FIT』。6月24日より全国5か所を巡るKOHEI DOJIMA TOUR 2023「POP dB」を開催。
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