2024-06-03 20:00

マーティ・フリードマン『音旅のキセキ』なぜJ-POPにハマり日本に居を移したのか

マーティ・フリードマン
マーティ・フリードマン

『マーティ・フリードマン自叙伝 音旅のキセキ』を上梓したスーパーギタリスト、マーティ・フリードマン氏にインタビューを実施。なぜメガデスに加入し、どうしてJ-POPにハマり日本に居を移したのか――。サイコーな音旅を奏でるために必要なこととは!?

演歌もヘタウマもサイコー

――タイトルが表すように、これまでの軌跡/奇跡が綴られています。ご自身の半生を振り返って、あらためてどんなことを思いますか?

マーティ・フリードマン とても恵まれているっていうか、宝くじが当たったみたいな感覚。感謝の気持ちしかないです。僕はよく言うんだけど、自分の趣味を思いっきりやったら、それが仕事になって幸せになれる――、まさにそのストーリーだと思う。僕はギターを覚えて、思いっきりロックの世界に入り込んだ。音楽でキャリアを築いて、その間に趣味として日本語を勉強したんだけど、バスの中、飛行機の中、楽屋の中、通信教育をしながらとにかく日本語を覚えました。その趣味から、日本における新しい人生が始まったみたいな感じ。本当に好きなものを追求したら幸せになれるんだって感じます。ラッキーだったとも感じるんですよ。

――本の中でも、「運が良かった」と触れていますよね。

マーティ・フリードマン 本当にラッキーって感じだよ。でも、運が良いことを受け入れられる状態じゃないと、その運をもらえない思います。たとえば、日本に来たばかりのとき、僕は完全にJ-POPの世界に入りたかったから日本に来たんだけど、『ヘビメタさん』(テレ東系)というテレビ番組から声を掛けられました。その頃の僕は、そんなに日本語を話すことに自信を持ててなかったんですよ。日常生活や音楽の世界だったら困らないと思っていたけど、カンペを読んだりするテレビ番組となると別じゃん? だから、できるかどうか分からなかったんだけど、 とりあえずやってみることにした。できることをやっていたら、みんなが褒めてくれたり、励ましてくれたりしたんですよね。その勢いで、「もしかしてなんとかできるかもしれない」と思ったので続けたら、『ROCK FUJIYAMA』(テレ東系)につながって、いろいろなことができるようになった。他の人はもしかしたらその道は選ばなかったかもしれないけど、僕は日本語の勉強になると思ったし、こんなチャンスはないじゃんと思った。そのマインドがあったから、僕は運を受け入れられることができたと思う。

――『ROCK FUJIYAMA』で、マーティさんがケリー・キング(スレイヤー)と共演したときは全メタルキッズが歓喜しました(笑)。そうした奇跡的なシーンを見ることができたのは、マーティさんの好奇心のおかげです。

マーティ・フリードマン そう言われると、とてもうれしいです。好奇心のおかげで八代亜紀さんとも出会えたからね。それって自分の人生の中の奇跡。 日本語は足りないかもしれないけど、好奇心で「いいじゃん、やってみよう」って思ったことが大事だったのかもしれない。

――マーティーさんは、子どもの頃から好奇心旺盛な少年だったんですか?

マーティ・フリードマン いや、まったくだよ(笑)。子どもの頃はスポーツが大好きだったんだけど、僕は小さくてガリガリだったから、アメリカンフットボールが大好きなのにプレイしたら大きい選手に殺されるんじゃないか! と思った。だから、本当に何もモチベーションのない子だった。

――音楽の話に触れる前に、本書の中でお父さんの職業がFBIやCIAと並ぶ機関「NSA(ナショナル・セキュリティ・エージェンシー)」だったと明かされていて驚きました。

マーティ・フリードマン お父さんからは、ロシア(当時はソ連)の秘密を探りながら、アメリカの秘密が漏れないようにブロックする仕事……みたいなことは言われていたけど、具体的に何をしているのかはさっぱり言ってくれなくて。 僕はお父さんのことをかっこいい存在、ずっと憧れでしたけど、秘密だから言えないことが多くて、ちょっと怪しいことをしてるんじゃないのかって疑っていた。日本とか韓国とかタイとかエキゾチックな場所に出張に行くから、なんか女遊びとかしてるんじゃないのって(笑)。

――マーティさんは、 メリーランド州ローレルの生まれですが、ドイツやハワイに引っ越すことになるのはお父さんの仕事の関係だったと。その間に、キッスやラモーンズにハマり、ロック少年として目覚めます。

マーティ・フリードマン ギターライフがスタートして、ギターの腕を磨いていたんだけど、デュースってバンドを組んでいた14~16歳くらいのときは、けっこう不良な生活をしていたんだよね。いろいろ言えないことをやっていて、それ自体はかなり楽しかったんだけど、中にはとても怖い経験もあった。シラフじゃない状態で死ぬと思ったこともあった。

――「お酒を呑みまくっていたし、日本ではできないこととかもいっぱいやりながら録音した」と綴られています(笑)。

マーティ・フリードマン そうそう(笑)。そういうことをしていたから、もし死ななければ、これからは思いっきりモチベーションを高めて、悪いことは全部やめて、音楽に集中しようと思ったんだよ。だから、それからはめちゃめちゃ真面目な人になって、一生懸命頑張る人になりました。

――その後、ハワイに引っ越すわけですが、まったくロックな環境じゃなかったそうですね。

マーティ・フリードマン ロック少年にとって、ハワイは最低な場所だよ(笑)。バンドを組もうにもロック好きな人が少ないし、アメリカ本土よりも20年くらい遅れていたから、当時僕が好きだったニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル(NWOBHM)のことなんか誰も知らない。4年間、ハワイにいたけどビーチに行ったのは1回くらい。その代わり、音楽の練習と勉強ばっかり。

――ところが、そこで出会ったのが日本の演歌や歌謡曲だった。

マーティ・フリードマン 日系人が多いから、日本のラジオ局があって演歌や歌謡曲が良く流れていた。初めて演歌を聞いたとき、「歌い方やべえじゃん!」って思ったよね。こんな表現の仕方があるのかって驚いた。ささやいたかと思えば、ものすごいエモーショナルな歌声で歌ったりエキゾチックで新鮮だった。もし僕が、同じような表現力を自分のギターで身に付けたら、最高にいい武器になるんじゃないのって思ったんですよ。

――その時代(80年代前半)は、ケイト・ブッシュなどの歌姫もいたと思うのですが、まったく異なるインスピレーションだったんですか?

マーティ・フリードマン まったく違った。僕はケイト・ブッシュみたいな素晴らしいシンガーも尊敬しているけど、なぜか興味を持てなかったんですよ。上手いとか、才能があるとか、そういうことに対して僕は昔も今も興味ない。 僕が興味を持つのは、聞いた瞬間に魔法をもらえるかどうか。だから、アイドルの“ヘタウマ”も大好き。「なんだこれ!? すごいじゃん!」ってなれるかどうかなんだよね。演歌は、僕にものすごく魔法を与えた存在で、八代亜紀さん、石川さゆりさん、都はるみさん、美空ひばりさん……圧倒的な歌声を持つ人たちの歌い方などを分析して、ギターで真似するようにしたんです。

――マーティさんのオリエンタルなフレーズは、ハワイ時代に培われたものだったんですね。

マーティ・フリードマン 日本人は僕の演奏を聞くと、「もしかしてこの人は日本の音楽と出会っているのかな」って気が付くかもしれないけど、海外のファンたちは全く糸口がないでしょ。「聞いたことがない音階、聞いたことがない表現。このマーティってギタリストは天才だ!」って誤解してくれる(笑)。

――ハワイから戻り、同じくスーパーギタリストと呼ばれるようになるジェイソン・ベッカーとカコフォニーを結成します。十分アイデンティティを確立しているだけに、このバンドで売れてやろうといった野心はなかったんですか?

マーティ・フリードマン その当時、僕らは本当に強烈すぎた(笑)。当時のアメリカのチャートは、デュラン・デュランとか僕の苦手な曲が席巻していた。ギターファンは、僕らを歓迎してくれたと思うんだけど、その頃ってスーパーギタリストとして人気を得るんだったら、オジー・オズボーンにおけるランディ・ローズみたいに、目立つフロントマンがいるバンドに在籍するほうがいい。曲の中に、八小節のギターソロがあるみたいな。だけど僕らは、100%全曲ずっと弾きまくっている宇宙レベルのギターアルバムだったから、耐えられる人たちがとても少なかった。僕ら二人は、お互いに楽しくて最高だったんですけど、一般のお客さんは絶対に耐えられない、ハハハ。だから、一人ずつ分かれて活動した方が成功する可能性が高いって思っていたんですよ。どうせ僕らはお金がゼロだったから、続けても解散しても同じ。だったら、一人ひとりやってたほうがいいと思って解散したんです。

――今聴いてもめちゃくちゃかっこいいのに。当時でも、そんなにお金にならなかったんですか?

マーティ・フリードマン まったく知らない女の子二人の部屋に何カ月か居候していたくらいお金がなかった。あの頃はヘアメタルといってLAメタルみたいな見た目だけで、ファンになる女の子がたくさんいたんですよ。僕らも見た目はそんな感じだったから、女の子のファンがたくさんライブに来ていた。

――カコフォニーのライブに!? 見た目はヘアメタルだけど、ライブに行くと超絶ギターテクニック合戦が始まるという(笑)。

マーティ・フリードマン ライブに来ている女の子は本当に音楽を聴かない。ブラックメタルを弾いていても、見た目さえよければどうでもいい感じだよ(笑)。見た目さえ良ければオッケーって感じ。ヘアメタルが好きな女の子はたくさんいたから、売れないロックバンドはみんなそういう感じだった。でも、そんなことを続けていたら、自分が最低の人間なんじゃないかと思い込むじゃん。 それで安い4万円のアパートを借りたんだけど、生活はギリギリだったんだよ。

取材・文=我妻弘崇

マーティ・フリードマンプロフィール

マーティ・フリードマン|米メリーランド州ローレル生まれ。本名:マーティン・アダム・フリードマン。少年時代から音楽に興味を持ち、キッスに大きな影響を受けロックの世界へ。以後、カコフォニー、メガデスを経て、世界中に熱狂的なファンを持つギタリストとなる。2004年に活動拠点を日本へと移すと、さまざまなJポップ・ミュージックと共演。国内外で日本を紹介する文化活動を行なうなどマルチ・アーティストとして活動中。

Twitterでシェア

関連記事

BUBKA RANKING11:30更新

  1. すべての球団は消耗品である「#3 1999年の野村阪神編」byプロ野球死亡遊戯
  2. プロ野球・俺たちが忘れられない助っ人外国人たち…伊賀大介×中溝康隆が語る
  3. DABO「Platinum Tongue」かく語りき…Rの異常な愛情 番外編
  4. 渡辺正行「テレビに出る前の原石を、たくさん見ることができたのは幸せですよね」
  5. 宮戸優光「前田さんとの関係が、第三者の焚きつけのようなかたちで壊されてしまったのは、悲しいことですよ」【UWF】
  6. 乃木坂46、10年の歴史…3択クイズで振り返る
  7. 【BUBKA WEB限定カットあり】私立恵比寿中学・星名美怜、昨年開催された「大学芸会」を振り返る
  8. 「『ラストアイドル』とは何だったのか?」ほか BUBKAコラムパック2022年5月号配信
  9. 2021→2022 年末年始テレビストリーミング<内田名人>
  10. 乃木坂46与田祐希「『難しいからやらない』『あきらめる』っていうのは絶対違うなと思う できる限りは全力で挑戦したいなって思います」
  1. 乃木坂46冨里奈央、清涼感あふれる制服姿のグラビアショット
  2. 乃木坂46遠藤さくら「ライブの熱量をそのままDARSに」、菅原咲月「一回り成長した姿を」アンバサダーとしての意気込みを語る
  3. テレ東・田中瞳アナ、初のフォト&エッセイ発売決定「恥ずかしいけれど見てみてください」
  4. 佐藤栞里「すごい時代になったなぁ」サプライズギフトに感激
  5. すべての球団は消耗品である「#3 1999年の野村阪神編」byプロ野球死亡遊戯
  6. 乃木坂46梅澤美波「怖がりはやっぱり圧倒的に遠藤さくらちゃん」箱の中身対決で明らかに
  7. アイドルグループ『ラフ×ラフ』リーダー齋藤有紗「浴衣で踊るのが新鮮」2ndワンマン昼夜公演開催
  8. 【TIF2022】FES☆TIVE、真夏のお祭り騒ぎでファンを勇気づける!
  9. 乃木坂46早川聖来“卒業記念”写真集「また、いつか」より秋元康氏による帯コメント到着!裏表紙カット4点も公開に
  10. SKE48荒井優希&赤井沙希“令和のAA砲”、第10代プリンセスタッグ王座陥落