KEN THE 390×R-指定、続新・超ラップへの道
R-指定とゆかりのあるアーティストが対談。今回は、KEN THE 390さんが登場。二人の出会いから、KENさんのラップ人生の始まり、仲間と出会った大学・ダメレコ時代に深く迫る。
少年R、大人に
――今回は、KEN THE 390“Overall feat.般若,R-指定”や「フリースタイルダンジョン」などでRさんと縁の深いKEN THE 390さんを迎えて対談を進められればと思います。まずお二人の最初の接点は?
KEN THE 390 2009年の「B BOY PARK U-20 MC BATTLE」でKOPERUが優勝して、その時にKOPERUと知り合って、その後「超・ライブへの道」に彼を呼んだ時に、「コッペパンの相方です」みたいに紹介されたのかな。
R-指定 俺は一方的にリスナーとして存じてましたけど、ちゃんとお会いしたのはそれぐらいの時期ですね。「超・ライブ」のフューチャリングとDJとしてKennyDoesと、俺が一緒に行く流れがあったんですよね。それでKZさんの車で8時間ぐらいかけて大阪から行って。
KEN THE 390 どこの「超・ライブ」だっけ?
R-指定 (渋谷 CLUB)QUATTROやったような気がします。
KEN THE 390 SIMI LABとかも出てくれたやつかな?
R-指定 そうです。その時が人生初の東京やったかな……僕も曖昧ですけど。
KEN THE 390 般若さんの“超たちがわるい feat. J-REXXX & R-指定”のモデルになった話が始まったとき?
R-指定 じゃあQUATTROっすね(キッパリ)。
――いきなり記憶が明晰になるじゃん(笑)。
R-指定 見えました(笑)。RAU DEFさんやSHUNくん、日高(光啓)さんも出てたときで、KOPERUも「1人は心細いから援護で来てくれ」みたいな感じやったんで、一緒にコッペパンの曲をやったり。その時に東京の人たちとコミュニケーションを取るようになったんですけど、実は東京に食らってたんですよ。「ほんまに標準語で喋ってるやん! あれはテレビの演技やなかったんや!」って(笑)。
――平成生まれとは思えないリアクションを(笑)。
R-指定 しかも、そのイベントでちょっと年上の綺麗なお姉さんに話かけられて「おいおい、女性に向こうから話しかけられたぞ! 東京はちゃうな……」みたいに、更に食らって。
――ヒップホップドリームが(笑)。
R-指定 で、「UMB2010」の現場でまた同じ女性から声をかけられて、色々なことが巻き起こって……気づいたら東京が一望できる高級ホテルの一室で一人で寝てましたね。
KEN THE 390 何だ、その話(笑)。
R-指定 UMBの時点で、梅田の仲間には「もしデートがうまくいったら“東京WALKING”、ダメやったら“人間スタンガン”と送ってくれ」って言われてて。“人間スタンガン”は〈ジャングルに置き去り〉っていう歌詞があったんで(笑)。
――KMCのアルバム曲だ。“東京WALKING”も〈真夜中に置き去り〉という歌詞もあるし、結果「置き去り」は変わらなかったじゃん(笑)。
R-指定 ホンマや(笑)。
KEN THE 390 KOPERUからも俺に告げ口が来たもん。「KENさん、Rが『超・ライブ』で出会った方と大人になりました!」って(笑)。
R-指定 その節はホンマにお世話になりました。
KEN THE 390 何もしてなさすぎる(笑)。
R-指定 俺の初東京であり、KENさんとの大事な大事な思い出。それを“Overall”でも書くべきやったすね(笑)。
KEN THE 390 “超たちがわるい”の連作として?面白いけどテーマが違うから書き直してもらってるわ(笑)。コッペパンとしての印象でいえば、俺は最初騙されてたんだよね。
R-指定 というと?
KEN THE 390 KOPERUがちゃんとしてて、Rがちゃんとしてないのかと思ってたのよ。だけど、Rは歌詞をちゃんと覚えてるんだけど、KOPERUは毎回飛ばして。それで「ステージ上のRはちゃんとしてるんだ。遅刻とかは置いといて……」と。
――コッペパンの歌詞飛ばす方と、遅刻する方(笑)。
R-指定 KOPERUは梅田の中で一番ラップを肉体的にできる奴なんですよ。他の梅田の奴がロジックや脳みそでラップしてるとしたら、KOPERUは爪先から頭まで全身でラップしてる。ライブでもフィジカルが勝っちゃうから、そっちに全開になると歌詞とか掛け合いが飛んじゃうんですよね。今はそんなことほぼ無くなっ……まあ、たまにあるんすけど(笑)。KOPERUがKENさんにめっちゃ説教されたとこ見てますもんね。
KEN THE 390 DREAM BOYから「大阪キッド」を出した時でしょ?「せっかく良い曲作ったのに届けられないのは勿体無いよ」って、一応レーベルオーナーとして怒った(笑)。RとKOPERUへの驚きは、高校生でラップしてたことだよね。
ラップ梁山泊“GALAXY”
――今や普通だけど、当時は高校生はまだまだ少なかったですからね。
KEN THE 390 「高校生でラップしちゃうの?」「しかもバトルで勝ってるんだ!」みたいな、新世代、新人類っぽい感じだった。
R-指定 でも、だからといって出られるライブが多かった訳でもないから、「超・ライブ」とか「触」のライブに呼んでもらえるのは、めっちゃデカかったっすね。しかも「普通のあんちゃんがハードコアな人たちとラップで渡り合う」みたいな、KENさんやダメレコ界隈の人たちに、俺も含めて梅田のメンバーは影響を受けてるやつも多いから、「超・ライブ」呼んでもらえるっていうのは「やっぱそうやんな」みたいな感じがしてたし、ありがたかったですね。ちなみに、KENさんがラップを始めたのって、大学生の時ですか?
KEN THE 390 いや、俺も高校生のときにはラップを始めてたんだ。もともと中学の時からバンドでベースを弾いてて。
R-指定 プレイヤーだったんすね。
KEN THE 390 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとか、リンプ・ビズキット、日本だとバック・ドロップ・ボムとかをカバーしてたんだよね。そういう、いわゆるミクスチャーバンドはラップも入ってたから、ラップにも興味を持って、友達に「ラップを聞きたいんだよね」と話したら、YOU THE ROCK★やBUDDHA BRAND、RUN DMCも入ってるみたいな、洋邦ごちゃ混ぜの「そいつが思うベスト」みたいなMDをくれたんだけど、それが俺には超衝撃で。それで聴いてすぐにラップを始めたんだよね。だから、ラップ聴き始め=ラップ始めぐらいの感じ。
R-指定 俺もそうでしたね。「うわ、このリズムで俺もラップしたい」という気持ちと、元々ダジャレとか空耳みたいな言葉遊びが好きだったから「そういう遊びができるのが韻なんや」というのが繋がって。だから「なにか伝えたい」より、「歌いたい」と「踏みたい」で始めた感じでした。
KEN THE 390 俺のバンドはオリジナル曲がなくて、コピーばっかりやってたのね。それで「ラップも面白そうだから、ちょっとやってみようか」なんて話してたら、そのMDくれた奴に「ラップは人の歌詞は歌わないんだよ。自分で書くんだよ」と言われて、そいつが持ってるレコードのインストに合わせて、3人で8小節ずつ書いたんだよね。それをラップしてみたら「……あれ、もう一曲できてない?」みたいな。
R-指定 なるほど!
KEN THE 390 4年ぐらいバンドやって、1曲もオリジナルがなかったのに、ラップは書いて歌った瞬間にオリジナルができた。それで「明日もやろうよ」みたいにハマっていって。
R-指定 手軽どころの話じゃないっすね。
KEN THE 390 そうそう。スタジオに入らなくても、ラジカセで録ったらできちゃった。それでもうみんなで集まって曲作りまくるようになって。「答えに責任無い」という言葉から、「無答責」って名前を思いついてグループ名にして。
R-指定 「無答責」! 日本語ラップやな~(笑)。
KEN THE 390 そうそう。ギリギリ90年代だから漢字が使いたくて(笑)。
聞き手・構成/ 高木“JET”晋一郎