【吉田豪インタビュー】中村弘二、気合いがあったから今がある
吉田豪が、バンド・SUPERCARでデビュー以降、自身の音楽と向き合い続けている中村弘二にインタビューを実施。中村の、どこを切り取っても音楽につながる人生を、吉田豪が深堀りする。
思ってたのと違う
――こんな媒体のこんなインタビューを、よく受けていただいたなとまず思ってます。
ナカコー ……そうなんですか?
――どういう雑誌なのかはわかってますか?
ナカコー いや、わかってないです。
――これは音楽誌じゃないから、基本パーソナルな話だけで音楽の話は全然しないんですよ。ナカコーさんのインタビューって基本的に音楽の話ばかりだし無口な人だから、大丈夫なのかなという不安がまずあるんですね。
ナカコー そうなんですか(笑)。
――そこは話したくないとかではない?
ナカコー そうですね、聞かれないので答えることもないってぐらいだと思います。
――まず関係ない話をすると、ボクがホントに大好きでいろんなところで流してるのがM@M(注1)の『Miss Entertainer』なんですよ。
ナカコー ……なんでしたっけそれ?
――え、覚えてないんですか!?
ナカコー なんだろ? エムエム?
――たしかにナカコーさんのウィキペディアにもM@Mのことは載ってないんですよね。
ナカコー それってなんでしたっけ?
――チェキッ娘(注2)のユニットです。
ナカコー チェキッ娘のユニット……?
――それでも思い出せない(笑)。
ナカコー ああ、覚えてないですね。チェキッ娘……そんな仕事やったかな?
――99年に曲提供してます。SUPERCAR(注3)プロデュースぐらいの言われ方を当時からしていて、作詞はいしわたり淳治(注4)さんです。
ナカコー へーっ、覚えてないです。
――えーっ、ショックです!!
ナカコー ハハハハハハ!
――藤岡麻美さんっていうディーン・フジオカさんの妹さんも所属したユニットで、アイドル向けに手加減することもなくかなり攻めた曲を、フジテレビが当時やってたアイドルグループの企画でやって。これがふつうにシングルを切られて大会場で歌われているのを映像で観て、正直度肝を抜かれたんですよ。
ナカコー そうなんですか。っていうかどんな曲かも覚えてないし、たぶん聴いても自分がやったかどうかわかんないと思います。
――えーっ!?
ナカコー ハハハハハハ!
【ここで編集がライブ動画を流す】
ナカコー ……曲を聴いてもまったくわかんない(笑)。これはぜんぜん俺、知らない。
――リリースされなかった曲か何かを使われてた可能性も?
ナカコー 可能性……わかんないですね、どうしてこれをやったのか、思い出そうとしても思い出せない、聴いてもわからない。自分が作った感じもあんまりしないけど、そうだっていうんだったらそうかもしんないし。
――「そうかもしんないし」じゃないんですよ、確実に自分で作ってるんですよ!
ナカコー ああ……そうなんだ(笑)。
――ちなみにいまyumegiwa last girl(注5)っていうのが出てきてるの知ってます?
ナカコー 知らない。それはなんですか?
――アイドルグループです。
ナカコー へーっ。
――何も思うことはない?
ナカコー 思うことっていうか、そういう世代なのかな、ぐらいですけど。
――じゃあ15年ぐらいにラブアンドロイド(注6)っていう地下アイドルが『Strobolights』(注7)のカヴァーをやってたのは知ってます?
ナカコー わかんないですね、なんですかそれ? 何アンドロイド? 知らないです(笑)。許可取ってないんじゃないですか?
――とりあえずM@Mを一切覚えてないのはショックだったことだけ伝えておきます! 99年だからセカンド(注8)の頃だったんですよ。
ナカコー そのへん記憶がごっちゃごちゃになってるんで、何年に何がっていうのはまったく思い出せなくなってて。でも、そういう仕事もやってたってことは、いろいろ手広くやろうとしてた時期なんじゃないですかね。
――素朴な疑問で、若くしてデビューするとどんなメリットデメリットがありますか?
ナカコー メリットは長く楽しめることで、デメリットも長く楽しめるってこと(笑)。
――悪いことはないじゃないですか!
ナカコー 悪いことはないですよ、基本は。若くデビューして悪いことはほとんどないです。でも、若くしてデビューすると、若いときから歳をとるまでずっとその世界……その世界をやめちゃう人はまた……やめるってことはたぶん別にやりたいことがあるわけなんで、選択肢はずっと広いままなんですよ。歳とってデビューだと爆発力は高いですけど。
――溜めに溜めたものがあるから。
ナカコー デビューまでの間に腐らなければ爆発力は高いんじゃないですかね。
――要はそんなに溜めるものがないままデビューしたことはデメリットではなかった。
ナカコー そうっすね、基本的には全部が新しい体験で知らないことだらけだから、それを知っていくのがおもしろかったかな。
――業界に入ったら年上の先輩ばっかりなわけじゃないですか。それは関係性を作るうえで面倒なことが多かったのか、それよりもかわいがってもらえたのか、どっちでした?
ナカコー そんなに人と付き合うことがなかったので。それでも年上の方々と付き合うことのほうが多いから、今日(注9)もそうですけどいまも即興とかやってると即興界の大御所と一緒にできるのはすごいありがたいですね。
――そういうクラスの人たちは別として、同世代のバンドとの横のつながりのなさみたいなものはなんとなく感じていたんですよ。
ナカコー うん、なかったですね。
――そういうのが苦手だったんですか?
ナカコー そういう機会がなかったって感じですかね。一緒にライブするわけでもないし、オフに会うわけでもないし。
――いまはフェスのバックステージで世代を超えて仲良くなることも多いですけど、当時はそういう文化がなかったんですかね?
ナカコー なくはないけど、けっこうピリピリしてるバンドはピリピリしてるし、みんな仲良くっていう発想は当時なかったかもしれないですね。いまは平和だと思いますよ。当時はみんな負けない気でやってるんで。敵視じゃなくて自分たちのことしか見ないから、相手を見る気はない、みたいな感じ(笑)。
――90年代とかはそんな感じだった、と。
ナカコー いまSNSとかもあるから、わりと全体の雰囲気がいい方向じゃないとバンドは売れにくいっていうのはあるんじゃないかな。関係性が見えないと情報として補完できないから。お客に見抜く力があんまりないし。だから、その情報のために仲良くしてっていう感じには見えるけど。当時はそういうのもないからふつうでいられるっていう。
――ファンの人はバンドの人間関係とかを見て楽しむ部分があるんだとは思いますけど、以前、「自分を消したほうが音楽を作りやすい」みたいな発言もありましたよね。
ナカコー ああ、それは単純に作るうえではそうですね、我が出ると広い意味で作りにくくなるってだけで。でも基本はふつうです。
――デビューして「あれ? ちょっと思ってたのと違う」みたいな部分はありました?
ナカコー ああ、ありましたね。
――たとえば?
ナカコー もっと狂ったヤツがいると思ってたんですけどね。当時、狂ってるふりしてる人はいっぱい見ましたけど、ホントに狂ってるヤツは少ないんだなって思いました。
――どういう期待をしてたんですか(笑)。
ナカコー 田舎にいたので、東京に出て音楽をやると、たぶんホントに頭がおかしな世界が待ってるんだろうなと思ってたら、わりとみんな理にかなってて、みんなお金で動いてて。なんだ、ふつうじゃんと思って(笑)。
――もうちょっとファンタジーというか、得体のしれない世界だと思ってたんですね。
ナカコー そういう世界があるのかもなと思ってたんだけど、バンドの世界にはないかもって。わりと平和だし、みんなまじめだし。
――もっとバイオレンスなのかと思ったら。
ナカコー あるのかなと思って。まあそういう部分もあるにはありましたけど、そんなに日常的にはないし。よくよく考えたらそうだよなと思って。自分たちが観てたり聴いてたバンドの逸話もよくよく考えたら脚色されて誇張されてるのも多いし、真実はもっと地味だったりするんだろうなと思います。
――わかります。ロック伝説的なものにはボクもあこがれたけど、冷静に考えたら奇行の原因はほぼ薬物じゃんって感じだったりで。
ナカコー それもあるし。もともと音楽の歴史は好きだったんで、なるほどなと思って。
――メジャーで活動するような人たちだったら、ある程度の秩序は保たれてますよね。
ナカコー うん、ぜんぜん保たれてますよ。
――アンダーグラウンドのパンクの世界とかにはもちろんヤバい人もいたりするけど。
ナカコー うん、ヤバい……でもヤバいっていっても当時は暴力とかケンカとか? そんなの関わらなければいいだけだから(笑)。
――もっとすごいのを想像してたんですか?
ナカコー まあ暴力とかだけじゃないんですけど、なんかもっとおもしろいこと考えたりするかなと思ったら、わりとみんな堅実で。まあ、それでいいんですけどね。
――みんなお金で動いていることに驚いたのは、その想像がなかったってことですか?
ナカコー うん、お金以上におもしろいこと、楽しいこととかすごいことにバンバン興味を持つかなと思ったら、そうでもなくて。やっぱみんなビジネスマンなんだなって。
――いろんな人が関わってる世界だから、まずはビジネスが成り立たないことには、と。
ナカコー うん。いまのバンドはみんな最初からビジネスマンみたいなところがあるなと思って見てるけど、よく考えてるなって。
――ナカコーさんのときは、深い考えもなくまずは飛び込んでみるような感じだった。
ナカコー うん、そうですね。若かったし、まあどうにかなるだろう、みたいな。
――ビジネス的な発想ってどれくらいあったんですか? 食べられる食べられない的な。
ナカコー いや、ぜんぜんないっす(笑)。
――いつからそれが芽生えたとかもなく?
ナカコー 単純に曲を書いてそれを売って金を稼ぐっていうだけなんで。じゃあ曲を書かなきゃいけないしライブしなきゃいけないし、それだけだなって思いましたけどね。
――それくらいシンプルな感じ。
ナカコー うん、それ以外のことになるといろんな要素がついちゃうじゃないですか、キャラクターとか演出とか人間関係とか。これは面倒くさいなと思って。本質的には曲を書いて売るだけなんで、商売としては。じゃあたくさん書けばいいし、たくさん売ればいいし。いまもそうですけどね、ただそれだけ。
――勝手に推測してたのが、好きなこと、やりたいことには商業的じゃなかったりするものが多いから、それをやるためにCMなり劇伴なりちゃんとお金になることをやって、好きな活動を続けている人だと思ってました。
ナカコー それって昔だったらアンディ・ウォーホル(注10)とかがアートをやってヴェルヴェッツ(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、注11)とか食わせるみたいな、そういうことでいいんだろうなと思ってたんですけど、べつに分けなくてもいいなと思って。全部一緒っていうか、自分のなかでは同じかなと思って。
――高く売れる曲、安く売れる曲、そもそも売れない曲みたいに区別することもなく。
ナカコー うん、ただ単にこっちは曲を作って、あとはそれを売る人のセンスや発見する人のセンスで売れていくものだろうから、いちいちそこに介入するの面倒くさいなと思って。そんなの勝手にやってくれって感じで。
――誰かがうまく売ってくれたらラッキー。
ナカコー そうそう、自分はただ作って、放たれたらあとはお任せするしかないから。適当に広がっていけばいいし、広がらなかったらまた作ればいいし。ただそれだけで。
――『ピンポン』(注12)とかで曲が使われるのもそういう感覚だったんですか? うまいこと使われてくれて売れたらラッキーみたいな。
ナカコー その当時、それがなんなのかよくわかってなかったというか。映画の曲になるんだ、知り合いが音楽制作やってるから、この人だったらおもしろいだろうな、ぐらいなんで。それがヒットするだとかなんだとかっていうのは考えなかったですけど。
――結果的にそれなりの手応えがあったわけじゃないですか。それも、「ああ、そうなんだー」ぐらいの温度感なんですか?
ナカコー うん。
――「やったー!!」とかはべつになく。
ナカコー ないですね。うれしいですけど、べつにやることがあるから、それはそれで。
取材・文/吉田豪
中村弘二プロフィール
1977年生まれ。95年に地元である青森にてバンド「SUPERCAR」を結成し、05年に解散。その後、「iLL」として活動。現在は「LAMA」、「MUGAMICHILL」、そして「Koji Nakamura」としてのソロ活動も継続している。コンポーザーとしても、アニメや実写映像作品の劇伴やCM楽曲など幅広く手掛けている。
記事注釈
(注1)M@M…フジテレビ番組『DAIBAクシン!!』で誕生したチェキッ娘内のグループ内ユニット。99年6月にデビューし、同年11月に解散。
(注2)チェキッ娘…「平成のおニャン子クラブ」的な構想を描いて結成されたアイドルグループ。98年にデビュー。同年にモーニング娘。が先にデビューしている。
(注3)SUPERCAR…95年に中村弘二、いしわたり淳治、フルカワミキ、田沢公大の4人で結成。97年、シングル『cream soda』でデビュー。05年2月にSTUDIO COASTで行われたラストライブをもって解散した。
(注4)いしわたり淳治…77年生まれ。SUPERCARではギターと作詞を担当していた。バンド解散以降は、作詞家・プロデューサー、音楽ユニットTHE BLACKBANDとしても活動している。
(注5)yumegiwa last girl…20年に結成されたアイドルグループ。グループ名の由来は、SUPERCARの楽曲『YUMEGIWA LAST BOY』から。
(注6)ラブアンドロイド…13年に結成されたアイドルユニット。DOMMUNEで配信された吉田豪×杉作J太郎の番組でゲストライブを行ったこともある。
(注7)『Strobolights』…01年にリリースされたSUPERCARのシングル曲。フルカワミキが全編でボーカルを担当。
(注8)セカンド…99年にリリースされたSUPERCARの2ndアルバム『JUMP UP』。
(注9)今日…今回の取材日は、5月5日に中尾憲太郎、坂口光央と一緒に行われた神田・POLARISでのライブ前に行われた。
(注10)アンディ・ウォーホル…28年生まれのアメリカの芸術家。ポップアートの巨匠と称される。キャンベルスープ缶の絵や、マリリン・モンローの肖像画が有名。87年死去。
(注11)ヴェルヴェット・アンダーグラウンド…64年に結成されたアメリカのバンド。代表作は、ウォーホルによる「バナナのジャケット」で知られるアルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』。
(注12)『ピンポン』…原作・松本大洋のマンガの実写映画。02年公開。窪塚洋介、ARATA(現・井浦新)、中村獅童などが出演している。