吉田豪インタビュー、中村一義…いつも『最後の聖戦』の気持ちで
プロインタビュアー吉田豪が中村一義にインタビューを実施。1997年のデビュー早々に文字通りの「金字塔」を打ち立てた中村が、壮絶な幼少期から現在に至る半生、そしてともに歩んできた音楽、犬について語る。
ノンとカズ
――今日は初対面なんですけど、中村さんのスタジオの写真を見て気になって。(私物の『飛べ!孫悟空』((注:1977年から79年に放送されたテレビ人形劇。ザ・ドリフターズのメンバーが主要キャラの声を担当した))カトちゃん=加藤茶パペットを取り出して)、これ欲しくないですか?
中村一義 あ、欲しいですねえ!
――スタジオに、これの志村けん=孫悟空バージョンだけ飾ってたじゃないですか。せっかくなので差し上げます。並べてください。
中村一義 え、ホントですか!? いいんですか!? ありがとうございます、いただいちゃった!
――マチャアキのもそうだしドリフのもそうだし、『西遊記』が好きなんですかね?
中村一義 ……好きなんですかね(笑)。やっぱりマチャアキがデカいです、あの中国と一緒に作ったドラマがトラウマになってるんで。
――『西遊記』(注:78年から80年に2シリーズ放送されたドラマ。孫悟空役を堺正章が務め、『ガンダーラ』や『Monkey Magic』をはじめとする音楽をゴダイゴが担当した)がトラウマなんですか?
中村一義 トラウマなんですよ。和田アキ子さんが鬼子母神をやった回(『西遊記Ⅱ』21話)があって、その和田アキ子さんが子供を食べまくるっていう。
――あった! 覚えてます。
中村一義 あれをすごい高熱のときに観たせいでうなされちゃって。数日40度が止まらないっていう日があって、あれがもう……。でも『西遊記』自体はすごく好きなんですけど。
――中村さんのことは『CONTINUE』(注:2001年に創刊。中村は創刊当初より「中村一義のアキハバカ」を、吉田は掟ポルシェとともに「電池以下」を連載)って雑誌でお互い同じ時期に仕事していたから連載をふつうに読んでて、ゲームとかロボダッチ(注:漫画家の小澤さとるがキャラクターデザインおよび原作を担当したプラモデル)とか好きな平和そうな人なんだなってぼんやり思ってたから、『CONTINUE』の林(和弘)さんと作られた本『魂の本~中村全録~』(11年/太田出版)を読んで、あまりの過去の壮絶さに衝撃を受けたんですよ。
中村一義 そうですね、林さんが何度も小岩まで来てくれて、飲みながら取材してもらってできた感じなんですけど。(カトちゃんパペットをいじりながら)小さい頃こういうのが欲しくて、もし身近にあったとしても……。
――買える環境ではなかったんですか?
中村一義 というか、ひとりだったんで。誰に「買って」と言えばいいのか、みたいな。土日とかにおじいさんおばあさんのところに行って、どっか行こうかってことになったら。
――買ってもらえたりはするけども。
中村一義 そうなんですけどね。小さい頃、親は両方ともほとんど家にいず、僕が生まれる前から家にいたノンっていう犬がいて。その犬に育てられた感じなんですよね(笑)。
――犬小屋で寝たりしてたみたいですよね。
中村一義 そうです。だから、そのせいかテレパシーじゃないけど、犬語というか動物が発してる何かがわかるようになって。ずっとノンとテレパシーで会話しながら穴を掘ったり。
――え! 一緒に穴を?
中村一義 はい。穴掘ったら部屋ができるかもしれないと思って、隣の家の敷地を掘って地下に部屋を作ろうと思って。そしたらすっごい怒られて。けっこう掘っちゃったんですよ。これでノンと一緒に冬をしのげるな、みたいなこと考えてたらすっごい怒られて(笑)。
――それ、犬と共同作業できてるんですか?
中村一義 犬もこうやって掘ってて。
――ホントにわかり合えてた(笑)。
中村一義 そうです、だから悪だくみばかりして。僕はそのノンが親だっていう感覚なので。親子で、「母さん、これでいいかな?」みたいな感じでやってたんですよね(笑)。だから悪いこととも思ってないし。僕があまりにもなイタズラとかすると噛んできたりして、「それやっちゃダメ!」みたいな。
――ちゃんと教育を受けて(笑)。
中村一義 教育されてました(笑)。
――ノンのおっぱいを吸って生きてたって話もありましたけど、ヘタしたら狼に育てられた少女みたいになりかねない状態ですよね?
中村一義 ホントそうでしたね。だから、いまでも小さい頃はそうだったと思います。
――ちょっと野生寄りな。
中村一義 はい、野生寄りでしたね。動物のほうが好きかもしれない。まあ人間も動物ですけど、文化レベルを持った人間よりはまっさらな動物のほうが好きかもしれないですね(笑)。
――それだけの関係性だった犬が逃げちゃったり死んじゃったりするとキツいですよね。
中村一義 そうです、親が死んだと思いました。その犬は逃げちゃったんですよ、あまりにもウチの家庭環境がバイオレンスすぎて。母親が父親に持ち上げられて床にドーンと落とされた音を聞いてビックリして鎖を引きちぎって逃げちゃったんですね。だから僕は家にも帰らず1週間ぐらい野宿しながら探して。
――親がいなくなったのと同然ですからね。
中村一義 そうです。かなり探したんですよ、土手のほうで見かけたっていう証言を聞いたから土手のほうで野宿したり。それでも見つからなくて。で、何年か後にまた犬を飼うとか親が言い出して。もういいのにと思ってたんですけど、レオっていうビーグルが来たんです。で、また親が暴れて、なんか嫌な予感するなと思いながら小学校に行ったんですね。そしたら昼ぐらいかな、ウチの近所にかつお節屋さんがあるんですけど、「かつお節屋さんから一義くんに連絡入ってるよ」って言われて職員室で電話に出たら、レオがかつお節屋さんの前で轢かれてるって話で。でも家に電話しても誰もいないしってことで、小学校からかつお節屋さんまで行って、血だらけになったレオを抱えて家まで帰ったっていうのがあって。そういうことがあってから、犬はもう飼えないなと思ってたんですけど。
――ようやくそのトラウマが解消されて。
中村一義 そうなんですよ。10年ぐらい前に町田のペットショップで、ほとんどの犬が僕のほうを見てギャンギャンアピールするんですけど、ひとりだけムスーッとした柴犬がいて。なんかこいつ覚えあるなと思って近寄ったら、あのテレパシーみたいなのがよみがえってきて、「遅せえよ!」って言われた気がして。実際、言ってたんじゃないかなと思うんですけど。ノンの生まれ変わりに近い何かつながりを持ったヤツだって感じて、「家来るか?」って言ったら当たり前のようについてきて。そこから癒されていったというか。自分が親と思えてる存在だったノンがゴンになって戻ってきてくれたことによって、やっと人間としてスタートできた気がしますね。
中村一義プロフィール
中村一義=なかむら かずよし|1975年、東京都江戸川区生まれ。97年にシングル『犬と猫/ここにいる』でデビュー。同年、すべての楽器をほぼ一人で録音した1stアルバム『金字塔』をセルフプロデュースでリリース。2004年よりバンド・100s(hyaku-shiki)としても活動し、2012年からは再びソロとして3枚のアルバムを発表。3月22日にBAND LIVE 2024『春、これにあり。~キネマと一座~』を開催。