2024-01-05 18:00

『玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会』より舟橋慶一のインタビューを公開!

『玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会』より
『玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会』より
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レジェンドたちが“闘魂”の炎のもとに集う一冊、『玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会』が好評発売中。掲載内容の舟橋慶一のインタビューより一部をお届けします。(※記事は2016年8月に収録の内容です)

「古舘君には、いろんな思い出がありますよ。入社当時からね」(舟橋)

ガンツ 玉さん、今回のゲストは『ワールドプロレスリング』初代実況アナウンサー、舟橋慶一さんに来ていただきました!
玉袋 いや~、うれしい!
舟橋 初めまして。今日はよろしくお願いします。
玉袋 こちらこそ、よろしくお願いします! 今日は本当に楽しみにしてきたんですよ。ガキの頃から舟橋さんの実況を聴かせてもらって、「アナウンサー」っていうのを最初に意識したのは、舟橋さんからだと思いますから。
舟橋 え! そうですか、それはうれしいですね。
玉袋 そうなんですよ。彼(ガンツ)は俺より年下だから、古舘(伊知郎)さんが最初かもしれないけど。
ガンツ ボクがプロレスをちゃんと観だしたのは1980年なので、古舘さんからですね。
舟橋 古舘君には、いろんな思い出がありますよ。入社当時からね。
玉袋 そうなんですか!
舟橋 そもそも古舘君が入ったのも、ボクがプロレスの実況から離れることになったのも、テレビ朝日がモスクワオリンピック(1980年)の放映権を独占したことがきっかけなんですよ。
玉袋 結局、日本や西側諸国がボイコットしちゃったオリンピックですよね(笑)。
舟橋 そう。だから大変でしたよ(笑)。これはその前のモントリオールのあと、社内のマル秘で知らされた話でね。当時、朝日新聞から来ていた三浦甲子二さん(元・テレビ朝日専務)に、「おまえら、黙ってろよ。モスクワ五輪の中継は、全部ウチでやることになった。だから舟橋、いま担当している番組は他のヤツに渡して、おまえはモスクワへ行け。おまえがモスクワのチーフだから」って、言われたんですよ。
ガンツ 舟橋さんがチーフアナウンサーだったんですね。
舟橋 で、ボクはモスクワで実況するアナウンサーを系列を含めて10数人選抜しなきゃならなくて、そのモスクワに行くアナウンサーを訓練するのもボクの役目なんです。ただ、アナウンサーを大勢連れていったら、他のスポーツを実況する人間がいなくなっちゃうわけですよ。
玉袋 そりゃそうですよね。スポーツの実況ができるアナウンサーが、上から20人近くみんな行っちゃうわけだから。
舟橋 それでボクは言ったんですよ。「専務、申し訳ないんですけど、現有戦力をみんな連れてモスクワに行ったら、野球もプロレスもボクシングも、すべてを新人で賄わなきゃいけなくなりますよ。そんなこと、できませんよね?」って。そしたら「それはおまえが、なんとか考えろ」って。
玉袋 ムチャぶりだよ~!(笑)。
舟橋 しょうがないから、「今度の採用試験で10人採ってください。あとは中途採用で地方局にいる活きのいいのを探しますから、それを5人くらい採ってください」って言ったんだよね。だってモスクワに行くなら、最低でもその空いた分の15人くらいはいるから。そしたら「新人アナウンサーは10人くらい採ってもいい。ただし、女子アナも含めてだぞ」って言われて。それで77年に大量に採った中で、ボクが注目したのが古舘だった。
玉袋 おお~、そうだったんですか!
舟橋 古舘と、佐々木正洋、渡辺宜嗣、吉澤一彦、あとはいまは報道に行ってる戸谷光照の5人を採って、あと4人は女子でね。それで女子アナはともかく、男はどうしたってスポーツの実況をやらせなきゃいけない。モスクワまであと3年しかないんだから。もう、そこから特訓ですよ。スポーツと言ってもいろいろあるからね。野球、プロレス、相撲、ボクシング、ゴルフなどやらなきゃいけない。ほかにもボウリングとかいろいろありましてね。
玉袋 ボウリングもブームでしたもんね。
舟橋 入社試験のときは、そういういろんなスポーツのVTRを見せて、6次試験まで通った20人くらいに実際にしゃべらせたんですよ。好きなものを2種目選ばせて。そのときに古舘はプロレスを選んだんですよ。
玉袋 お~! 古舘さん、テレ朝の入社試験のときにプロレスの実況したんだ!
舟橋 あいつはプロレスが好きなんですね。ただね、そのときは、「ジャイアント馬場16文であります」みたいに落ち着いていてね、日本テレビの清水一郎さんとか、佐土一正さん、ああいう実況に近かった。
ガンツ プロレスファンだっただけに、子どもの頃から観ていた『日本プロレス中継』スタイルの実況だったわけですね。
玉袋 古舘さんの落ち着いたプロレス実況、聴いてみてえよ(笑)。
舟橋 だからボクはよく研修で「古館君、選手の気持ちになって実況してみたら」って。それは、だいぶあとから言ったんですけどね。だけど受かった5人のなかで、彼はプロレス実況の評価が高かったんですよ。
玉袋 それで、プロレス実況アナウンサー古舘伊知郎が生まれるわけか~。
舟橋 古舘以外も、あのとき入った新人はおもしろかったよ。佐々木なんかは水泳を選んだんですけど、「これからスタートです。ヨーイ……飛び込みました! バシャ! バシャバシャバシャ!」って、そんな実況ないだろって(笑)。
ガンツ 効果音つきで(笑)。
舟橋 俺も呆れて、腹抱えて笑っちゃいましたね。(笑)。「こいつは実況になってないけどおもしれえヤツだな」と思ってね。それで、研修で大井競馬場に連れて行って「おまえ、その“バシャバシャ”じゃしょうがないから、競馬をちょっとしゃべってみろ」と。そしたら、「馬が4番目のコーナーを回りかけました。どの馬もみんな急に元気になり、一生懸命になりました!」って。
玉袋 「一生懸命になりました」って、全然実況じゃないよ(笑)。
舟橋 「すると一番後ろの馬がどんどん、ガンガン、外から外から、あっ、がんばって、がんばってこの馬が勝ちました!」って、おもしろいんだよね。それで、「おまえは慶応で何をやってたんだ?」って聞いたら、「いや、落研にいました」って(笑)。
玉袋 落研だったんですか(笑)。
舟橋 「落研にいたのか。これはおもしろいから採用しよう。訓練すればなんとかなる」ってことでね。
ガンツ 佐々木アナウンサーは「おもしろいから」採用だったんですね(笑)。
玉袋 それが10何年か後に、東京ドームの控え室で、猪木さんに「やるまえに、負けること考えるバカいるかよ!」って、ぶん殴られるわけだからね(笑)。
ガンツ ああ! そういえば、あの伝説の(90年)2・10ドームの控え室リポートは佐々木アナでしたね!(笑)。
玉袋 実際に、ああいうおもしろいことが起こるんだから。舟橋さんの目は確かだったよ(笑)。
舟橋 逆に渡辺なんかは真面目なんだけど変化がないというか。いまニュースをやってる感じと同じですよ。ニュースがおもしろいものだらけでも困るけど(笑)。
玉袋 たしかにおもしろ味はなかった。『トゥナイト』のときもそうでしたから(笑)。
舟橋 あと朝の番組をやっていた吉澤一彦君は体の弱いところがありましてね。2年目ぐらいに『おはようテレビ朝日です』っていう、朝のレギュラーを与えたんですよ。そしたらある日、「今日は息子が熱を出したので、休ませてもらいます」ってお母さんから連絡が来てね。「お母さん、申し訳ないけど、これは朝5時からの番組で、3時に連絡をもらっても代役はいないんですよ」って(笑)。
ガンツ そりゃそうですよね(笑)。
玉袋 お母さんから電話って、学校休むんじゃねーんだから(笑)。
舟橋 ボクはそのたびに、急いで古舘の家に電話してたんですよ。あいつはなんの打ち合わせもなしに始まっても対応ができたから。
玉袋 へえ~! そういう才能が新人の頃からあったんだな~。
舟橋 吉澤は身体が弱かったのでそのぶん古舘がけっこうカバーしてたんですよ。
玉袋 でも、そうやってテレ朝が全社一丸となってオリンピックに向かいながら、結局、ああいう結果になったわけですよね?(笑)。
舟橋 日本がボイコットすることになってね(笑)。それが正式に発表されたのが、岸記念体育会館。当時の外務大臣、伊東正義さんが代表選手みんなの前で、「残念だが、モスクワオリンピックには出場できなくなった」と告げてね。そうしたら、山下(泰裕)が泣き、瀬古(利彦)も泣きね。みんな大泣きですよ。山下は柔道だからそのあとのロサンゼルスでもがんばれたけど、マラソンっていうのはピークが短いんですよね。だから、あの瀬古の涙は忘れられないですよ。で、テレビ朝日のモスクワオリンピック中継の結果もさんたんたるもので、合計370時間放送したんだけど、誰も観ちゃいない(苦笑)。
ガンツ 日本人がひとりも出ないオリンピックって、まあ、観ないですよね(笑)。
玉袋 それも36年前だからね!
舟橋 まさに共産圏オリンピック。ボクも一生懸命しゃべったのに、全然反響がない。唯一、反応があったのは、マラソン中継のときに「この右側はソビエトの国防総省であります」って言ったら、三浦専務に怒られたぐらいで(笑)。
ガンツ 言っちゃいけないことを言ったときだけ反響があって(笑)。
舟橋 何がどこにあるなんて、軍事機密だからね(笑)。
玉袋 冷戦時代にそれを言っちゃう舟橋さんが凄いですよ(笑)。
舟橋 それで結局、370時間も放送したのに、ほとんどなんの反響もないまま、敗残兵のような気持ちでモスクワから帰ってきましたよ。
ガンツ 敗残兵(笑)。
玉袋 負けて帰る(笑)。
舟橋 でね、しかも帰ってきても家がないんだよ。ボクらにとって「家がない」というのは、自分の番組がないということ。モスクワ五輪で日本を離れるために後輩を育てて、それぞれの番組にあてがったら、「そこをどけ」とは言えない。
玉袋 なるほどな~!

「プロレスファンは、実況アナとか全部含めて好きになるからね!」(玉袋)

『玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会』より
『玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会』より

舟橋 それまでのアナウンサーっていうのはね、先輩が後輩の餌をみんな食っちゃうんですよ。たとえば、番組制作サイドから「あの新人アナウンサーに、これをやらせたい」ってオファーが来ると、「あいつは無理ですから、私がやります」って横取りしちゃう、そんなのばっかりだったから。昔の新人が育たなかったのは、そこなんですよ。ボクらが新人の頃のアナウンサーの先輩たちはそういう人が多かった。でも、ボクはそれをやりたくなかった。だから新人が育ち始めたのは古舘あたりの世代からですよ。大袈裟に言えば、そういう道を切り開いていったという自負はありますね。
玉袋 素晴らしい! それで古舘さんは若くして『ワールドプロレスリング』のメインアナウンサーになって、あんだけ売れたわけですもんね。古舘さんもいい先輩、いい師匠を持ったよ!
ガンツ 番組の顔だった舟橋さんから古舘さんへのバトンタッチというのは、そういう理由で行なわれたんですね。
舟橋 当時、ボクはアナウンス部の副部長だったから一応の権限はあったけど、「彼らを応援して、次の世代を作る努力をしてみよう」ってことで、そういう仕事をするようになってね。それを4年ぐらいやっていたら、これでいいのかと思っちゃってねえ、「自分は営業へ行って一旗あげたい」って言ったんですよ。
玉袋 えっ……それは左遷なんですか?
舟橋 いや、左遷ではない。もともとボクが自分で「行きたい」って言ったの。なぜかって言ったらね、やっぱりテレビ局に入ったら社長になるしかねえなと思ってね(笑)。
玉袋 お~、すげえ!(笑)。
舟橋 アナウンサーの社長はいないからね(笑)。そんなことは、人には言わないけどね。
玉袋 そんな野望を胸に秘めてたんですか!
舟橋 うん。アナウンス部で終わらないぞって、営業を志願してね。で、営業に行ったら半年くらいでスポンサーがどんどん増えていって、こんなこと言いたくないけどアナウンス部では副部長だったけど営業に行ったら営業部長になったわけですよ。
玉袋 すげえ!
舟橋 「そのかわり関西に行ってこい」と。それも嬉々として受け入れて。
ガンツ 野望に向けて(笑)。
舟橋 それで、46歳ぐらいになって関西に行ったんですよ。ボクにとって関西というのは未知の土地だったけど、関西のスポンサーはどこに行っても「いや~、おひさしぶりですなぁ!」と言ってくれるんです。初対面なのに。だから「私、初めてなんですけど……もしかするとプロレスをご覧になられてました?」って聞くと、「猪木さん大好きです! プロレスの舟橋さんでしょ?」ってね(笑)。
玉袋 じゃあ、プロレスの実況やってたことが営業にも凄く役に立ったわけですか!
舟橋 プロレスがもの凄く役にたった! これがアマチュアスポーツとかじゃ、そうはいかない。やっぱりプロレスファンは凄いですよ。思い入れの度合いが全然違う! 
玉袋 プロレスファンは、実況アナとか全部含めて好きになるからね!
舟橋 だから、関西のスポンサーもプロレス観てた人はみんなボクのことを知ってるから、営業の成績もどんどん上がっちゃうわけですよ。それで売り上げが2年で倍近くになっちゃってね。プロレスには本当に助けられましたよ!(笑)。
玉袋 いい話だな~。プロレスファンとしてもうれしいですよ! じゃあ、そろそろプロレス実況アナ時代のお話も聞きたいんですけど、もともとプロレスはお好きだったんですか?
舟橋 大好きだったんですよ。ただね、ミスター珍みたいなああいうのは嫌いだったんですね。
ガンツ ミスター珍(笑)。
舟橋 要するに、おちゃらけのプロレスは好きじゃなかった。ボクが格闘技の好きなところは目と目で勝負するところですよ。レスリングでもボクシングでも、最初は目と目ですもんね。
玉袋 リングに上がった時点から、目で闘ってるわけですね。
舟橋 ボクはオリンピックでもレスリングの実況をよくやりましたけどね、花原勉さん(東京オリンピック・レスリング52キロ級金メダリスト)がよく言ってたのは、「フナさん、初めて対戦する外国選手でもマットに上がった瞬間に勝つか負けるかわかる」って。「相手の目が輝いているか、頬が紅潮しているか、筋肉が躍動してるか」、それで相手の状況がつぶさにわかるそうですよ。これを猪木さんに話したことがあって、「自分と全く同じだ」と言ってました。猪木さんの凄さは闘いのなかで全身の筋肉で表現しているんですね。
玉袋 そうですよね~。
舟橋 あの卍固めとかね。首筋から肩の筋肉、そして表情に至るまで、あれは鍛えられた筋肉のアドリブ(表現)ですよ。
玉袋 いま観たって凄いですよね。肉体のすべて、指先まですべてに神経を行き渡らせて。やっぱりしょっぺえレスラーはそれができてねえもんな。指先が遊んじゃうんだよ。やっぱり指先まで気が張ってる猪木さんっていうのは凄かったよね。
ガンツ だからこそ、絵になるわけですよね。
玉袋 舟橋さんのプロレス実況っていうのは、新日からじゃなくて、日本プロレスからでしたっけ?
舟橋 昭和44年の日本プロレスですね。
ガンツ NET(現テレビ朝日)が日本プロレスを放送し始めた最初からやってるんですね。
玉袋 日本テレビと2局で放送してた最初からか。
舟橋 最初は僕と入社時期が同じの吉岡晋也っていうNHKから途中入社で来た相棒とテレコで2人でやってたんです。当時は(NETは)猪木の試合は放送できたけど、馬場の試合は放送できなかったんですよ。これが後に功を奏するわけですがね。
ガンツ 馬場さんの試合は、日本テレビの独占だったんですね。
舟橋 当時、馬場、猪木に次ぐスターが坂口(征二)で。坂口は放送が始まったときはアメリカに行ってたから当然放送できないんだけど、帰ってきてからも、坂口の試合は日本テレビ独占でこっちは放送できなかった。
玉袋 馬場だけじゃなくて坂口の試合も放送できなくて、ホントに猪木だけだったんですね。
ガンツ となると、1時間番組の中で、猪木さんの試合以外は誰の試合を放送していたんですか?
舟橋 あとはヤマハブラザーズ(山本小鉄&星野勘太郎)ね。それと大木金太郎、小鹿雷三(グレート小鹿)とかね。
玉袋 グレートになる前だね(笑)。
舟橋 あとはミツ・ヒライとか。
玉袋 日本プロレス若手精鋭陣、いいですね~(笑)。
舟橋 でも、プロレスの実況で、地方巡業に付いていくとおもしろかったですよ。あれは前取材の時だったかなぁ、当時はスカル・マーフィーとか、ブルート・バーナードとかがいて。
玉袋 2人とも悲しい死に方したけど(笑)。
舟橋 東北巡業で青森の八戸に行ったとき、あの2人が寿司屋に行くって言い出して、沖識名が「よかったら君らも寿司屋に行くか?」ってね。「行くか?」っていうことは払わせられるわけでしょ?(笑)。
玉袋 そういうシステムなんですか(笑)。
舟橋 まあ、払うのはしょうがないかってことで、ディレクターと一緒に行ったんだけど、あの2人は凄かったね。寿司屋なのに「サラダをくれ」って言い出して、「ここは魚しかないんだよ」って言ったら、「これはなんだ?」って、寿司の下に敷く葉っぱを指さすんですよ。
玉袋 バラン(葉蘭)ですよね。
舟橋 それで「これをサラダにしろ」って言い出して。でも、その葉っぱは本物じゃなくて、ビニールとかプラスチック製でしょう、それなのに「それでもいい!」って言って。
玉袋 良くない、良くない(笑)。
舟橋 それで、ホントに食ったんですよ。
玉袋 ビニールを食ったんですか!?
舟橋 ビックリしちゃうよね~。それで今度は「生きてる魚をくれ」って言い出して、寿司屋の大将が「いや~、生け簀がないので生きてるのは……」って言ったら、金魚鉢を見て、「これをくれ」って言うんですよ。
玉袋 寿司屋で金魚を?(笑)。
舟橋 食っちゃうんですよ、それが。
玉袋 バカだね~(笑)。
舟橋 あれは、わざとやってるんですよね。ボクらだけじゃなく、雑誌社とか東スポの記者なんかも来てましたから。
玉袋 ああ! そういうところへのアピールなんですね。
舟橋 そうでしょうね。「自分は常人とは違うんだぞ!」っていうところをね。それくらい徹底してるんだなと、ある意味でそのプロ根性に感心しましたよ。電球なんかもバリバリ食うレスラーも多かったし。
玉袋 じゃあ、その寿司屋っていうのも、スカル・マーフィーとブルート・バーナードにとったら、プライベートじゃなくて営業だったんですね(笑)。
ガンツ 他の店に行き直してるかもしれない(笑)。
玉袋 「記者の連中、早く帰らねえかな」って思ってるよ(笑)。
舟橋 そんなレスラーばっかりだったんでね、「俺はすげえところに入ってきたんだな」って思いましたよ。でも、猪木という選手に張り付いて毎日が充実していた。アントニオ猪木のレスリングを、自分の実況で表現してみたいなと思ったから。

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