『玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会』より藤波辰爾のインタビューを公開!
レジェンドたちが“闘魂”の炎のもとに集う一冊、『玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会』が好評発売中。掲載されている藤波辰爾のインタビューより、一部をお届けします(※記事は2013年1月に収録した内容です)。
「新日本の仮事務所に日プロの人たちが殴り込みに来たからね!」(藤波)
堀江ガンツ(以下、ガンツ) 玉ちゃん! 今日はなんと、我らが“ドラゴン”藤波辰爾さんが変態座談会の聖地、大衆居酒屋『加賀屋』に来てくれましたよ!
玉袋筋太郎(以下、玉袋) いや~、感動だよ! わざわざ、ありがとうございます!
藤波辰爾(以下、藤波) いえいえ、今日はよろしく!(笑顔で玉ちゃんとガッチリ握手)。
ガンツ 藤波さんはお酒は飲まれるんですか?
藤波 飲みますよ。この時間だもん、やっぱりお酒がないとね(ニッコリ)。
椎名基樹(以下、椎名) お酒は日本プロレスの寮で覚えたんですか?
藤波 いや、ボクは入門してその足で地方巡業に付いて行ったから、そこで覚えたというか、飲まされました(苦笑)。
玉袋 いきなり巡業に加わったんですか! でも、明らかに未成年ですよね?(笑)。
藤波 そうだね。あんまり大きな声じゃ言えないけど(笑)。
椎名 中学卒業してすぐですか?
藤波 いや、卒業して1年後だね。プロレスに入る前にボクは自動車の修理工の専門学校に入ったの。その学校は1年で卒業するんだけど、結局就職して間がなくこのプロレス界に入ったから。
椎名 就職もしたんですか。地元・大分で?
藤波 そうそう。だからね、一応、電気・ガス・溶接の免許持ってんだよ。
玉袋 それは凄いじゃないですか! いま、小林邦昭さんが新日本道場のメンテナンスをいろいろやってますけど。
藤波 それを言ったら、いまの道場の建物、基礎はボクらが作ったんだからね。
玉袋 えっ!? 藤波さんたちが基礎工事もやってたんですか?
藤波 山本小鉄さんとボクと木戸(修)さんでね。木戸さんは家業が工務店だから。木戸工務店なの。
玉袋 木戸さんって、工務店なんですか! 見た目は公務員みたいだけど(笑)。
ガンツ ダハハハハ! ヘアスタイルが公務員(笑)。
椎名 じゃあ、いまの新日道場は当時の若手レスラーたちの力で作ったんですか?
藤波 もちろん職人さんもいるんだけど、我々も材木を運んだり、いろいろ手伝ってね。嬉しいもんだよ。自分たちの城っていうか、練習場が建つんだもん。
玉袋 道場が自分たちの城! いいね~。
藤波 猪木さんが日本プロレスを解雇になって、「すぐに道場を作らなきゃいけない」ってなってね。
椎名 いまの新日本プロレス合宿所は、もともと猪木さんの家なんですよね?
藤波 そうそう。もともとは畠山みどりさんが住んでた家を猪木さんが買ってね。いまの道場の場所が庭で、池があって鯉がいっぱい泳いでたんだから。その池があった庭も一夜にして更地にして、翌日から突貫工事で道場を作ったんですよ。
玉袋 それぐらい道場ってもんを猪木さんは大事にしてたんですね。
藤波 そうだね。それで当時は代官山が日本プロレスの本拠地だったんだけど、猪木さんはよりによって、そこから歩いて5分くらいのところにあるマンションに新日本プロレスの仮事務所を借りたの。
ガンツ 幹部との確執から日プロを追放されたのに、そんな近所に事務所開きましたか!(笑)。
藤波 もの凄く気まずくてさ(笑)。しかも、向こうはおっかない人ばっかり出入りしてるんだから。
玉袋 あの時代の日プロですもんね。
藤波 だから、辞めるときは荷物をスーツケース4つとかに入れて、こっそり出て行ったからね。
ガンツ おもいっきり夜逃げ状態で(笑)。
藤波 バレたらボコボコにされると思ったからね。
玉袋 猪木に協力するなんて、タダじゃおかねえってことだったんでしょうね。
ガンツ 当時の日プロの人たちは、やっぱりおっかない豪傑ばかりだったんですよね?
藤波 そう! グレート小鹿とか大熊元司とか。
玉袋 文字通り、極道コンビ!(笑)。
藤波 それからミツ・ヒライに高千穂明久、いまのグレート・カブキさんね。あの人がまた、酒グセ悪いんだ(笑)。
玉袋 ガッハハハ! 日プロ時代はそんな空間に一人、藤波さんみたいな美少年がいたら、浮いてたんじゃないですか?
藤波 だから、当時はレスラーっていうよりも使いっ走りの小僧っていう感じで。若手までもいかない感じだよね。
ガンツ 藤波さんは、猪木さんから「行くぞ!」って声をかけられて、日プロを辞めたんですか?
藤波 いや、ボクは自分から猪木さんに付いて行ったの。猪木さんは「絶対に来るだろう」と思ってたらしいけどね。
椎名 なぜ、いち若手が自ら猪木さんに付いて行こうとしたんですか?
藤波 ボクはもともと猪木さんの付き人もしていたし、やっぱり気持ちの中で日プロにいづらかったんだよね。自分の親分が出てっちゃったわけだから。
椎名 日プロ時代から完全に猪木派だったんですね。
藤波 うん。ボクと木戸さんと山本小鉄さん。それからボクを拾ってくれた北沢(幹之)さん、柴田(勝久)さんと何人かが「猪木派」として日プロで植え付けられてたから、自然とああいうカタチになっちゃったね。
玉袋 馬場派っつうのは誰だったんですか?
藤波 その他、全部。
玉袋 ワハハハハハ! その他、全部! なんだよ、はぐれ新日軍じゃねえか(笑)。
藤波 だから、猪木さんの日プロでの最後の試合は、馬場さんと組んでザ・ファンクスとやったインターナショナルタッグ選手権だったんだけど、馬場さんのほうにはセコンドがウワーッといるのよ。最後の試合だから、猪木さんが最後に馬場さんに何かをやるんじゃないかって。
玉袋 すげえ時代だぁ。
藤波 だから、最初のオールスター戦(1979年8月26日、日本武道館)までは新日本と全日本の交流戦なんてあり得なかった。だって、地方で遭遇すればもう火花が散ってたからね。選手だけじゃなくて営業も全部!
ガンツ 営業もですか(笑)。
藤波 凄かったよ。いまのプロレス界にも、それぐらいの緊張感が欲しいね。でも、日プロを出たばかりの頃なんかは、緊張感というより恐怖感だったから。当時、ボクは家がなかったから、できたばかりの新日本プロレス仮事務所の応接間で寝ていたんだけど、昼間、日プロの人たちが事務所に殴り込みに来たからね!
玉袋 ええっ!? ホントに殴り込みなんですか?
藤波 凶器持って来たんだもん。
ガンツ それは誰が来たんですか?
藤波 ボクは奥の部屋にいて、声が聞こえたのは小鹿さんなんだけど、ほかにも何人かいたね。
玉袋 小鹿さんは訛ってるから、わかりやすいんだろうな(笑)。
藤波 そのとき事務所にいたのは、営業の倍賞鉄夫、それから猪木さんのお姉さんとか、ボクを含めて3~4人しかいなかったんだよね。それでボクを応接間のほうに隠してくれて。「絶対に出てくるな」って。
ガンツ ああ、レスラーが出てくるとやられちゃうから。
玉袋 一般人なら小鹿さんも手を出せねえってことか。
藤波 もう、怒鳴り声が凄くてね。
ガンツ もはやプロレス団体の対立というより、“抗争”ですね(笑)。
藤波 そうそう、抗争! あっちの世界だもん(笑)。
ガンツ 完全に『アウトレイジ』の世界(笑)。
藤波 新日本はそっからスタートしたんだよね。
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「ゴッチさんと8時間もトレーニング!? サラリーマンの労働時間ですよ!」(玉袋)
玉袋 最初の頃っていうのは所帯が小さいから、猪木さんも地方なんか行っていろいろ営業やったりしたんですか?
藤波 猪木さんは我々と違って、すでに自分のスポンサーがいたからね。猪木さんの仲人は三菱電機の大久保謙さんだったから。でも、三菱電機は日本テレビの中継のスポンサーだったから、表立って応援したくてもできない。それでも別のカタチでいろんな関連会社で応援してくれたんだよね。
椎名 「アントニオ猪木」という個人の名前で、いろんな協力を取り付けたんですね。
玉袋 結婚式だって凄かったもんな。
藤波 ボクなんか猪木さんの結婚式を間近で見たわけしょ? 「俺もこんなところで結婚したいな」とずっと思ってて、猪木さんと同じ28歳のとき、同じ京王プラザホテルで式を挙げたからね!(ニッコリ)。
ガンツ そうなんですか! カッコいい!
玉袋 いい話だなぁ(笑)。猪木さんとはトレーニングは一緒にしていたんですか?
藤波 稽古をつけてもらったのは新日本になってからだね。日プロには若手のコーチがいたから。大坪さんっていう。
玉袋 ああ、大坪飛車角!
ガンツ シュートが強くて有名な人ですよね。
藤波 そこでスパーリングやいろんなカタチとかを教わって。で、練習が終わっても最後まで残るのが木戸さん、山本さん。そして猪木さんが夕方に来るから、また猪木さんと一緒に練習してね。
ガンツ じゃあ、猪木派の人たちは、合同練習以外にさらに猪木さんとの練習もしてたんですね。
玉袋 練習量がハンパじゃねえって話だもんな。
椎名 コシティもその頃から回してたんですか?
藤波 コシティはまだない。あれは新日本になってからだね。いまでも新日本の道場にあるけど、いまは宝の持ち腐れで誰もできないんだよ?
椎名 藤波さんはコシティ回すの上手いですよね。
藤波 ボクはあれしかやってなかったから。バーベルとか使わなかったからね。
ガンツ いまの新日道場でコシティ回してるのは、管理人の小林邦昭さんぐらいらしいですよ。
玉袋 ホントかよ!?
藤波 でも、あれも中途半端だよ(笑)。
ガンツ 中途半端! 藤波さんからすると「甘い!」って感じですか(笑)。
椎名 藤波さんは誰に教わったんですか?
藤波 コシティはフロリダでカール・ゴッチさんに教わったんだよね。
椎名 ゴッチ直伝なんだ。カッコいい!
藤波 ゴッチさんのところは、バーベルとかウェイト器具が一切ないんだもん。器具といえば、コシティとか、ロープ登りとか、体操の吊り輪、それしかないからね。そんな練習ばっかりしてたら、そりゃコンディションは良くなるよ。
玉袋 藤波さんから見たゴッチさんの印象はどうでした?
藤波 とにかく練習しかないという感じだよね。そして精神論じゃない。「この極め方はこの体勢じゃないと極められない」とか、そういうことを理論的にきちんと教えてくれるから、覚えやすかった。でも、その代わりノッてきたら終わりがないんだから。
ガンツ トレーニングがひたすら続いてしまう(笑)。
藤波 8時間とか続けてやってたからね。
玉袋 8時間! サラリーマンの労働時間ですよ(笑)。ゴッチさんというのは、ほかの外国人レスラーとまったく違うタイプの人だったんですか?
藤波 違いますね。レスリングの捉え方が違う。もともとアマチュアからきてるでしょ? プロレスの考え方が、いまの総合格闘技みたいなんだよね。だから、あの人はアメリカンプロレスを観なかったから。
玉袋 ああ、やっぱりそうなんですね。
藤波 ボクなんか、フロリダのゴッチさんの家にいたときは、日本からプロレス雑誌が送られてくるのが月に一度の楽しみだったんだけど、全部没収だもん。
ガンツ 全部没収(笑)。
藤波 「こんなの見る必要ない」と。それで「おまえはこれを読め」って渡された本が分厚い、昔のパンクラチオンが載っているような技術書だからね(苦笑)。そんなのばっかりだもん。そりゃ、あそこで練習してたらマインドコントロールじゃないけど、自分もカール・ゴッチみたいに強くなったって意識になる。だから、あそこに行った人はみんなそうじゃない? 前田(日明)にしろ、藤原(喜明)にしろ、佐山(サトル)にしろ。
ガンツ その気になっちゃうわけですね(笑)。
玉袋 ゴッチ教だな。「修行するぞ!」っていうね。じゃあ、フロリダのゴッチさんの自宅って、近所の人はどう思ってたんですかね?
藤波 やっぱり変わった人だと思われてたんじゃないかな(笑)。
玉袋 なんか、いっつも日本人が住んでるし、朝から晩まで汗流して。危なっかしい犬連れてるし。「あの家はなんなんだ」って(笑)。
藤波 ゴッチさんのところはリングがなくて、練習は近くにある芝生の上だからね。ボクはあんまり身体が柔らかいほうじゃないから、スープレックスの練習なんかすると、頭がそのまま地面にめり込んだりしてね(笑)。
ガンツ ドラゴン・スープレックスは、そんな芝生の上で伝授されたんですか(笑)。
藤波 重たい80~90キロくらいある(ダミー)人形を使ってね。その人形は名前が付いてて「ロビンソン」って言うの。ゴッチさんが、ビル・ロビンソンを嫌いだったから(笑)。
一同 ダハハハハハ!
椎名 ロビンソンを地面に投げ捨ててたんだ(笑)。
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