【BUBKA10月号】天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る!ミスタープロレス交龍録 第34回「神取忍」
天龍源一郎は、その40年間の“腹いっぱいのプロレス人生”で様々な名レスラーと出会い、闘い、交流した。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の2人にピンフォールでの勝利を収めた唯一の日本人レスラーであり、ミスタープロレスとまで称された天龍。そんな天龍だからこそ語れるレジェンドレスラーたちとの濃厚エピソードを大公開しよう!
第一印象はさっぱりしたネエチャン!柔道の技に入る時はさすがに速かった
男子5階級、女子4階級で金メダルを獲り、混合団体戦では銀メダルと、東京オリンピックでは柔道が活躍したよね。そこで今回は女子柔道の先駆者で「ミスター女子プロレス」「女子プロレス最強の男」と呼ばれる神取忍選手とのエピソードを語ろうかと思う。
知り合ったのは、まだ俺が全日本プロレスにいた時代だね。当時、彼女はジャパン女子プロレスっていう団体に所属していて、俺たちの仲間がよく試合を観に行っていた関係で、ジャパン女子の選手たちと食事をするようになったんだよ。三沢(光晴)なんかも一緒に付いてきた時代だよ。仕事として絡むようになったのは、神取と風間ルミが旗揚げしたLLPWがウチ(WAR)のリングに上がってくれるようになってからだね。
ジャパン女子プロレス時代からコミュニケーションがあったからLLPWとの提携話はスムーズに進んだ。要するにエンターテインメントとして、ひとつの興行に女子が入ったら華やかでいいんじゃないかってことですよ。
当時の日本のプロレス界には男子と女子は別物みたいな考えが根強かったけど、俺はアメリカのサーキットで男子と女子の区別なく試合が組まれているのを体験しているから、別物という感覚はなかったんだよ。それに女子プロレスがどんどん勢いをつけてきた時期だったから、それがWARの1枚のチケットで観られるんだったら、お客さんは「儲かった!」って喜んでくれるんじゃないかという発想ですよ。その頃は全日本も新日本プロレスもカタいプロレスをやっていて「いや、興行ってそんなもんじゃないでしょ」っていうのが俺にはあったからね。実際、WARでは女子の試合を入れることに誰も反対しなかったよ。
で、俺が何で神取忍に興味を持ったのかっていったら、女子柔道日本一っていう肩書でプロレスに入ってきたでしょ。俺は自分が凄く悩んで相撲からプロレスに入ってきて、入ってからも悩んだから、違うスポーツからプロレスに入ってきた人に凄く興味があったんだよ。その後にジャッキー佐藤をボコボコにしたっていう話を聞いた時には「何でこんなことするの?」「こんなことして先に何があるの? 何なんだよ、これ?」っていうのが正直なところだったけど、女子のプロレスは男子に比べると、おどろおどろしいからね。きっと彼女の中では自分が思っていたプロレスと実際のプロレス界に乖離があったんだろうなと思ったね。多分、プロレスに馴染めなかったんだろうと思う。言い方を変えれば、スマートじゃなかったということだよ。
――記事の続きは絶賛発売中の「BUBKA10月号」にて!
天龍源一郎=1950年生まれ、福井県出身。1963年に大相撲入り。1976年のプロレス転向後は「天龍同盟」での軍団抗争や団体対抗戦で日本・海外のトップレスラーと激闘を繰り広げ、マット界に革命を起こし続ける。2015年の引退後もテレビなど各メディアで活躍中。