プロデューサー、トラックメイカーS.A.Lの音楽性のルーツを探る
楽曲派という言葉が死語になる前に伝えることがある!ということで始まった当連載。今回は、O’CHAWANZや、MIKA☆RIKAをプロデュースし、ヒップホップとジャズを組み合わせたサウンドでアイドルシーンで注目を集めているS.A.L.が登場。あまり語られることのなかった彼の経歴から、その音楽性のルーツを聞いた。
日本ヒップホップ黎明期
――僕がS.A.L.さんと出会ったのは2014年あたりで、当時はMIKA☆RIKAのサウンドプロデュースをされていて。そこから遡ってRomantic Productionの仕事や『Jazzin’ for Ghibli』を知ったのですが、そのもっと前のことをうかがってみたいなと。
S.A.L. 地元が柏なんだけど、先輩にGASBOYSとかチエコ(・ビューティー)さんとかがいて。
――え!
S.A.L. GASBOYSのひとりは中学の先輩で、同じ陸上部だったりするので(笑)。自分はスケボーをやってたんですけど、そこら辺がみんな先輩たちに巻き込まれて遊んでたりしたんです。高校生の頃からクラブに連れて行かれて。ECDさんも遊びに来たりしてましたね。
――いきなりそんな話が出てくると思わなくて驚いてます。80年代後半あたりの話ですか?
S.A.L. そうそう。西麻布のミロス、ガス、ピカソとかによく行ってて。
――インクスティックとか。
S.A.L. インクはもう毎週のように。芝浦GOLDのスケーターズナイトに呼ばれたりもして。本郷綜海さんとか、そのあたりのイベンターみたいな人たちに遊びに連れて行ってもらって、というところから自分もDJやってみようと思って機材を揃え始めたんです。音楽のベーシックなところを通らず、ギターも持たずにDJセットを持つような感じで。
――当時のDJは見習いなどもあって厳しかったんじゃないですか?
S.A.L. そういうディスコDJとは区別されてて、自分はヒップホップ系に行ったのであまりなかったかな。(須永)辰雄さんとかのほうに結構遊びに行ってました。
――日本のヒップホップの初期から現場を見ていたんですね。
S.A.L. もう、ド初期。それでDJゴングショーみたいなものが始まって、知り合いが出たりしたのもあって、俺も調子に乗って一度出たことがあって……CHECK YOUR MIKEっていう。
――うわ! 日本のオールドスクール期の固有名詞がバンバン飛び出しますね。昔話だけでページが埋まってしまいそうだ……。
S.A.L. 蓋を開けてみたらMUROさんが対バンだったりして。当時はBOY-KENさんもレゲエじゃなくてヒップホップをやっていたし、インクに行くとタイニーパンクスがいて、ビブラストーンがいて。これからはヒップホップ、という雰囲気でした。
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