【BUBKA9月号】藤原喜明、藤原組旗揚げから30年 組長としての苦悩とレスラーとしての生き様
藤原組の旗揚げから30年が経った今でもリングに上がり続ける組長・藤原喜明。船木誠勝、鈴木みのるといった錚々たる面々をまとめ上げ、話題となる興行を打ち出し続けてきたが、その長い歴史の中には、経営者としての苦悩があった。「歳をとるのも悪くない」と語る組長に、波乱万丈な半生を振り返ってもらった。
白樺伝説の新事実
――今年、藤原組を旗揚げして30年なんですよね。
藤原 会社は変わって、今は俺の個人事務所だけどな。30年前だと、俺が42歳の時だろ? あれから、いろんな奴に騙されて金を持っていかれたこともあるけど、この歳になっても仕事がもらえているわけだから。ありがたいことだよ。
――団体名は組長自身でつけたんですか?
藤原 そうだよ。(レフェリーの)ミスター空中さんと「会社名どうするか」っていう話をしていた時、「なんとかカンパニ
ー」とか横文字は嫌いだから、「藤原組でどうだ?」って言ったら、「おっ! それええな!」って言われたんで、簡単に決めたんだ。
――会社名はともかく、団体名で名前が入るって、日本のプロレス史上初ですよね(笑)。で、最初は「新UWF藤原組」という団体名だったのが、途中から「UWF」が取れて、「プロフェッショナルレスリング藤原組」になったのは、どういう理由からだったんですか?
藤原 うるせえ奴がいたんだよ。UWFの名前の権利がどうのこうのって言ってきてな。
――「U.W.F.」の商標を取ったとされる某インター方面からですね(笑)。
藤原 俺、権利だのなんだの面倒くせえの嫌いだからね。だったらそんなもんいらねえよって、それだけの話。
――藤原組は、自主興行以外に同じメガネスーパー傘下であるSWSのビッグマッチにも出場してましたけど、スタイルの違いから、向こうの選手との軋轢が常に起こっていましたよね。
藤原 やっぱり全日本系と新日本系は、プロレスに対する考え方が違うんだよね。全日本系は先輩後輩だのなんだかいろいろあるけど、新日本系はそんなのあんまりないもんな。新日本系は強けりゃそれでいいって感じだから。
―― 一旦リングに上がれば、先輩後輩は関係ないという。
藤原 文句があるならやってこいっていう世界だから。
――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA9月号にて!
ふじわら・よしあき=1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年に新日本プロレスに入門、藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事してレスリング技術を学ぶ。1984年にUWFに移籍。新日本復帰、第2次UWF参加を経て、1991年3月にプロフェッショナルレスリング藤原組を旗揚げ。その実力ぶりから「関節技の鬼」として知られる。現在は俳優業やイラストレーターとしても活動。