【BUBKA9月号】吉田豪インタビュー 証言モーヲタ~彼らが熱く狂っていた時代~vol.15 ごっしー
「見返りを求めるな」ってことですよ いくら応援したからといって何が返ってくるわけでもない
プロインタビュアー吉田豪が、モーヲタたちが熱く狂っていた時代について、モーヲタ自身に直撃する濃厚インタビュー連載。今回のゲストは、当時の『BUBKA』で『VIVA!VIVA!モーニング娘。』を連載した編集者のごっしーさんです。『BUBKA』におけるモーヲタ要素の重要な部分を担い、「すべてのきっかけを作ったのが僕」と語る、ごっしーさんに当時のことをたっぷりと振り返っていただきました。
すべてのきっかけを作った?
――『BUBKA』のモーヲタ二大連載と いえばビバ彦(注1)さんの『モーヲタの部屋』と、ごっしーの『VIVA!VIVA!モーニング娘。』だったわけですが、ついにごっしー登場です!
ごっしー ホントは僕は一番最初がいいと思ってたんですよ。だって、すべてのきっかけを作ったのが僕ですから。そんな気しない?
――その流れは何もわかってないですから。
ごっしー そっか(あっさりと)。
――まず当時の『BUBKA』がどんな感じだったのかもよくわかってないわけですよ。
ごっしー 僕、『BUBKA』という雑誌を意識したことはないんですよ。みんな僕が『BUBKA』の編集部にいたと思ってるんですけど。
――コアマガジンの人間ではあったけど。
ごっしー 元を正すと白夜書房の編集者募集広告を見て、なんだかよくわからないけど応募したら目の前に『スーパー写真塾』の編集長と『クラスメイトジュニア』の編集長がいたんですよ。それが23歳のときで、面接受けて『スーパー写真塾』に受かって。僕がやってた頃は遠藤ミチロウが連載してて、その次が電気グルーヴで。電気がお休みのときに猛毒でやったりして、猛毒は僕が担当してましたね。あと山塚EYEと友沢ミミヨも担当していた。
――『スーパー写真塾』はボクも連載することになる、サブカル色が強いエロ本で。
ごっしー 僕は今でもサブカル=『スーパー写真塾』だと思っています。そんな編集部に入って。
――要は、編集は好きなことを誌面にするのが当たり前って刷り込まれたわけですよね。
ごっしー 僕は好きなことも書きたいこともそんなになかったんですよ。だから言われるがままやってたんだけど、だんだんやりたいことが出てくるじゃないですか。それでブルース・リーの本を作ったりしたんです。白夜書房からリリースしたんですけど。
――もちろん買ってますよ。
ごっしー あ、ホントに? 3冊作ったけど、それからいろいろな活動しましたね。吉田さんと会ったのは相当昔で、杉作(J太郎)さんと会う前だもんね。
――インタビューの続きは絶賛発売中のBUBKA9月号にて!
ごっしー
少年出版社(現コアマガジン)に入社し、『スーパー写真塾』『アマチュアガール』などの編集に携わる。『BUBKA』では『VIVA!VIVA!モーニング娘。』を連載。後にフリーとなり、倉田真琴名義で執筆活動を行う。
ビバ彦(注1)……編集者、ライター。『BUBKA』では、「モーヲタの部屋」を連載した。