Especia、独自の楽曲性を紐解く…サウンドプロデューサー横山佑輝氏と作編曲家中川悦宏氏が語る
楽曲派という言葉が死語になる前に伝えることがある!ということで始まった当連載。今回は、Especiaの楽曲のサウンドプロデュースを務めた横山佑輝氏と中川悦宏氏が登場。旧友の二人に、当時の熱量、そしてEspecia独自の楽曲性がどのようにして生まれたのかを聞いた。
救世主PellyColo
――お二人は中学校の同級生なんですよね。どんな経緯で一緒に音楽をやることになったのでしょうか?
横山佑輝 もともと吹奏楽部だったんです。二人ともサックスで。中学生なので、そこからご多分に洩れずバンドを始めるじゃないですか。で、選手(中川)が最初にギターを買ったものだから、じゃあお前はベース買え、みたいなノリで始まりました。
中川悦宏 よくあるやつですね。
横山佑輝 ラルクとメタリカのコピーをやってましたね。
中川悦宏 あと個人的にはギターでエリック・クラプトンとかヴァン・ヘイレンをコピーしたりして。
――もともとはハードロックやヘヴィメタルから入っていったと。その後の音楽性を考えると飛躍がありますよね。
横山佑輝 点だけで見るとそうかもしれないんですけど、そんなに飛んでるつもりはないんですよね。メタルにはファンクネスがありますし、いわゆる8ビートじゃなくて16ビートなので。でも、当時はジャンルで聴こうという自意識もなく、世代的にまだYouTubeもSpotifyもなかったので、TSUTAYAに行って、とりあえずこれ聴いとけみたいなものを片っ端から全部聴いてました。リンプ・ビズキットも聴けばジャズも聴くみたいな。聴いていくうちに、こことここは近しいかもなって共通点を見つけたりしていって。「名盤数珠繋ぎ」じゃないですけど、そんな感じでTSUTAYAに育てられました。
――中学以降、一緒に音楽をやる関係は続くんですか?
中川悦宏 高校は別で、またやるようになったのは大学ですね。
横山佑輝 機材を手に入れて自分で作ったりし出すのが高校生で、稼いだバイト代を握りしめて楽器屋に行ってサンプラーを買っちゃったのが運の尽きというか。家でビート作って2ちゃんねるのアップローダーにアップして、「誰かラップ載せてください」ってやっていて。そういうこともあって、お互いに「曲作ってるんだよね~」みたいな話をするようになっていきました。
――大学生の頃はどんな音楽をやっていたんですか?
横山佑輝 当時のハウスとかアシッドジャズのようなものですかね。すでにその時点で決まった調で解決するみたいなコードにまったくグッとこない感じになってました。
――そして横山さんはつばさレコーズに就職し、渡辺淳之介さんや松隈ケンタと出会って。
横山佑輝 渡辺さんがプー・ルイを見つけ、松隈(ケンタ)さんが曲を作るなかで、僕は見習いみたいな感じでついてまわって。プー・ルイの曲をアレンジさせてもらったのが最初でした。
――そのときに中川さんのようなプレイヤーが近くにいたのが大きかった。
横山佑輝 そうですね。選手は管も大学のジャズ研でやっているし、「じゃあブラス入れちゃおうか!」というのを手軽にできる環境にありました。DTM完結のトラックメイカーみたいなのではない感じで作ってました。
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