なんてったってキヨハラ最終回「青春と夢の終わり」
10月31日、プロ野球コンベンションと日米野球レセプションが行われたこの日、清原は西武関係者と交渉を行い、他球団移籍の決断を伝える。「外で勝負したい。ドラフトのクジで人生を決められ、自分なりに精いっぱいやってきた。今度は自分が決めた道で勝負したい」と29歳の旅立ち。新人時代から何かと気にかけ面倒を見てきた東尾監督は「彼にとっては巨人がやっぱり初恋や夢のようなものなんだ」と理解を示し、シーズン中に「3年契約10億円、5年で20億円」の好条件で西武残留を側近に厳命と報じられた堤オーナーもその決意が固いことを知り、最後は「行かせてやりなさい」と断腸の思いで受け入れた。のちに清原がオーナーと会った際、当時の心境をこう振り返ったという。
「娘を嫁にやる父親のような気持ちだったよ」
11月4日、日米野球第4戦が行われた西武球場では、熱烈レオ党の「永遠のミスターライオンズ清原和博」「いつまでも西武の清原でいてくれ」という横断幕がスタンドで掲げられたが、キヨマーは試合後に「西武のユニフォームを着てここでやるのは最後になるでしょう」とクールにコメント。報道陣から「今度は日本シリーズで?」と声が飛ぶと、「オープン戦で来ます」なんて素っ気なく塩対応だ。11月10日、東京ドームでの日米野球最終戦では、9回に同点のきっかけとなる左中間二塁打を放ち、ゲームセット後は背番号3のユニフォームをさっと脱ぎ野茂英雄のドジャースの16番と交換した。翌11日に堤オーナーと再び会談を持つも、「今はなんとも言えんのです」とあらためて残留を否定。大リーグのロイヤルズの清原獲りも噂になるが、視線の先は当然、死にたいくらいに憧れた花の都大東京だ。他球団との交渉解禁は11月12日からだったが、この頃にはすでに中国の象牙でできた長い箸を握りジャッキー・チェン風の右肘リハビリに励む桑田真澄……じゃなくて清原と桑田の電撃トレード案から、夏に死球で左手首を骨折した落合の西武移籍プランまでが週刊誌を賑わし、どちらにせよ「キヨマー巨人入り決定的」という雰囲気である。