尾形回帰「曲を提供した人もどんどんエビ中のことを好きになる それって、間違いなく彼女たちの人間性だと思うんです」<私立恵比寿中学の音楽のすべて>
私立恵比寿中学のあの名曲は、どのように誕生したのか? 不安定な歌唱力を自称していたエビ中は、なぜ実力派ボーカリスト集団に成長したのか? 作詞・作曲・編曲家陣に話をきくことで、その正体を言語化する当連載。最終回となる今月は、テレビ番組『エビ中++』での共演を機に彼女たちとの親交を深めた尾形回帰に話を聞いた。
やさしい人柄がにじみ出る歌
――尾形さんは、’15年4月からBSフジで放送されていた『エビ中++』に出演されていて、そこからエビ中との交流が始まるわけですけど、まず最初に楽曲を書くことになったのはどういう流れだったんですか?
尾形回帰 番組の1回目の収録中にエビ中のA&Rの石崎(裕士)さんが僕のところに寄ってきて、「君、インビシブルマンズデスベッドですよね?」って僕の前身バンドのことを聞いてきて。それで、「なんで僕のこと知ってるんですか?」みたいな話をしたら、実は石崎さんは僕らがもともと所属してたレーベルでアルバイトしてたんですよ。それに驚くと同時に心の距離も縮まって(笑)。それからより親密に交流が始まりました。だけど最初は音楽家として『エビ中++』に呼ばれてるわけじゃなくて、あくまで番組のにぎやかしなんですよ。でも、僕も一応ミュージシャンなんで、時折石崎さんに「本職は音楽なんで、楽曲提供の話とかあればやりますよ」と話していて。それから数カ月経ったぐらいから、校長(藤井ユーイチ/エビ中チーフマネージャー)も含めて飲みに行くようになるんですけど、そこで「そこまで言うんだったら楽曲作ってみる?」って話になったんです。「でも、あくまでコンペだからね!」みたいなことを言われて(笑)。それから、「ぜひ参加させてください!」って言って作ることになったのが始まりですね。
――尾形さん側から熱意を伝えたんですね。
尾形回帰 熱意というか、音楽家としての部分をエビ中のメンバーにも、校長や石崎さんにも知ってほしいなっていうところがありました。
――『春休みモラトリアム中学生』は、そうした経緯で書かれたんですね。その結果、非常にインパクトがあって、音楽的な面白さがありつつ、楽しさも感じられる楽曲になっています。当然エビ中のことを考えて作っていったと思うんですけど、詞曲はどんな流れで作っていったんでしょうか?
尾形回帰 最初は弾き語りで曲を作って、それをDTMに落とし込んでいきました。ほかのパートはHEREのギターの武田将幸とインビシブルマンズデスベッドのベースである西井慶太にアレンジを協力して貰いました。この2人は保育園からの幼なじみで、北海道の田舎から一緒に上京してずっと一緒に音楽制作をしています。なので曲作りに関しては僕のやりたいことをすぐに理解してくれるので、スムーズに進みましたね。
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