天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る!ミスタープロレス交龍録 第42回「グレート小鹿」
練習で憶えているのは、馬場さんに腹筋のローラーをやらされたら、3回ぐらいしかできなくて、それを見ていた小鹿さんが「こんなもん、3回しかできないのか?」って5回ぐらいスイスイやったことだね。で、すぐにテキサス州アマリロに半年間修行に出された時、試合をあんまり組んでもらえなくて、コインランドリーに行くか、アパートの部屋でローラーの練習をするしかなかったから、帰国した時には全日本で一番できるようになってたよ(笑)。
アマリロから帰ってきて、日本でデビューしてからはロッキー羽田、カブキさんと組んで小鹿、大熊組とタッグマッチで当たることが多かった。いつも20分を超える試合になっていたんだけど、その当時に中堅クラスの試合で20分を超えるっていうのは凄いことなんだよ。大体が10分前後だったんだから。
カブキさんもロッキー羽田も俺の御守り役をやってくれて、組んでいると心地好かったよ。頭が混乱するってことはなかったね。そこに小鹿、大熊組を当てるのが、プロレスというものを俺に覚えさせる上で、一番いいと馬場さんが考えたんじゃないのかな。
当時の小鹿&大熊の極道コンビは、メチャクチャ元気だったからね。相撲取り上がりで頑丈だから、俺にしてみたら余計なことを気にしなくてやれる相手だったよ。何をやっても一切文句を言われないから、それだけでも気楽だった。ボディスラムで肩からガタッと落とそうが「頑丈だから、どうってことない」って、凄く気楽だった。外国人選手や他の奴らは、肩から落としちゃったり、ニーリフトが顎に入ったりすると「ショッパイ野郎だな」って顔をして、睨みつけてきたけど、小鹿さんも大熊さんもそんなことは一切なくて、伸び伸びとやれたね。
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取材・文/小佐野景浩
天龍源一郎|1950年生まれ、福井県出身。1963年に大相撲入り。1976年のプロレス転向後は「天龍同盟」での軍団抗争や団体対抗戦で日本・海外のトップレスラーと激闘を繰り広げ、マット界に革命を起こし続ける。2015年の引退後もテレビなど各メディアで活躍中。
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