プロ野球・俺たちが忘れられない助っ人外国人たち…伊賀大介×中溝康隆が語る
伊賀大介 東京ドームの初期はまだドームの特別感もありましたよね。俺も小5の時、ピカピカのビッグエッグで生ガリクソンを見ましたよ。相手はヤクルトで(長嶋)一茂のティーチャーのデシンセイ(ヤクルト/1988)がいたかな。
中溝康隆 当時の報道を見るとガリクソンは30勝できるのかなんてやってるんですよ。メジャーのローテーション投手ってことで期待値はめちゃくちゃ高かった。初年度は14勝と、それなりに数字は残してたけど、それでも物足りないって言われて。80年代は今より助っ人に対する期待値が高かった。それこそ、30本打ってもクビになる選手もいましたし。
伊賀大介 もう1年日本でやればすごい選手になったのに……って選手もいっぱいいましたよね。
中溝康隆 巨人だと性格が暗すぎるって言われていた91年のブラッドリーとかね。打率2割8分2厘の21本で1年でクビになったけど、今の巨人でその数字だったら良い外人って言われてると思うんですよ。
――この時代の助っ人はブライアント(近鉄/1988-95)が活躍していたこともあって、どうしてもホームランを求められていましたよね。あと、ショーマンシップというかファンにウケるあかるさも。
中溝康隆 ウインタース(日ハム/1990-94)なんかはインタビューを読むと確信犯的にパフォーマンスをやってますからね。当時はジャパニーズドリームを目指して来日した外国人選手も多かったように思います。
伊賀大介 フィルダー以降は日本で経験を積んで、アメリカに戻って大成功する選手も出てきました。プロレスで言えば猪木のプロレスを学んでアメリカで成功したハルク・ホーガン。ヤンキースで大成功したソリアーノ(広島/1997)はエディ・ゲレロ(※アメリカのプロレスラー。エルパソ出身のメキシコ系アメリカ人。ラティーノ・ヒートと呼ばれた)かな。ローレン夫人フィーバーもあったマイコラス(巨人/2015-17)は帰国後、最多勝に輝いたけど、その頃はそこまでびっくりしなくなってましたね。
中溝康隆 最多勝はめちゃくちゃすごいのに(笑)。
伊賀大介 んで、中溝さんがいろいろ調べた中でのベスト外国人は誰ですか?
中溝康隆 リアルタイムで見て一番すごいと思ったのは呂明賜(巨人/1988-91)なんですよね。あのめちゃくちゃな打ち方でホームランを打つし、一瞬、未来のプロ野球を救うのは呂明賜だ、みたいな雰囲気もあったんですよ。辛口の張本(勲)さんも「呂明賜は山本浩二より上だ」って言ってて。当時、自分の中で張本さんて山本小鉄みたいなイメージだったんですよ。