船木誠勝「ガチンコでやれば八百長って言われなくなる 単純にそう思ってましたね」【UWF】
――89年4月24日にプロレス界初の東京ドーム興行がありましたけど、そこで船木vsジャッキー・チェンが組まれる予定だった、と(笑)。
船木 その時は、すごく悩みましたね。ジャッキー・チェンの大ファンだったので、ドームで闘えるってすごいなって。でも、ちょうど同時期にイギリスに来ていたライガーさんに相談したら、「いいけど、あれ俳優だからね。おまえ、俳優と闘ってどうすんの?」って言われたんで、一気に醒めて。「やっぱりUWFに行こう」って決心したんですけど。
――せっかく新日本が引き止めてるのに、ライガーさんが背中を押しちゃいましたか(笑)。
船木 ライガーさんは会社の事情と関係なく、自分のことを考えてくれたんですよ。それで「おまえはUWFに向いてると思うから、行ったほうがいいよ」と言ってもらえて。それでライガーさんも同時期に、会社に対して「マスクマンにしてくれないと契約更改しない」って、言ってたんです。それで、当初は武藤(敬司)さんがかぶるはずだったマスクをかぶることになって、獣神ライガーになったんですよ。だから二人とも駄々こねてたんですよね。
――期待の若手二人が、揃ってネゴシエーションしてたんですね(笑)。でも、船木さんは説得に応じずに。
船木 はい。その後、母親までイギリスに連れてこられたんですよ。それで会った瞬間、「おまえ、会社になんか迷惑かけてるのかい?」って言われて。もう、その時はさすがに新日本に対して、このやり方はずるいんじゃないかって思いました。母親に説得させるなんて、立てこもり犯みたいじゃないですか。