船木誠勝「ガチンコでやれば八百長って言われなくなる 単純にそう思ってましたね」【UWF】
アントニオ猪木の説得
――そして船木さんが、88年春にヨーロッパへ武者修行に出た直後に、前田さんが“長州力顔面蹴撃事件”で新日本を解雇され、髙田さんらとともに新生UWFを旗揚げするんですよね。
船木 じつは海外に行く前、髙田さんと山崎一夫さんに食事に誘われたんですよ。その時、髙田さんから「実は俺たち、新日本と契約更改しないで、また前田さんとUWFをやるんだよ」って、聞かされたんです。まだどこにも出てない情報だったんで、「すごいですね! たまに自分も試合に呼んでください」って言ったら、「いや、おまえにも来てほしいんだよ」って。
――髙田さんから、その時点でUWFに誘われたわけですか。
船木 「でも、もう海外と契約しちゃったんですよ」って言ったら、「いいよ。長期間の海外遠征はなかなか経験できないことだから、行ってきなよ。そして1年後、帰ってきたら一緒にやろう」って言われたんで、「わかりました」って、即答しましたね。
――その1年後、船木さんが帰国と同時に、新日本からUWFに移籍して大騒動になりましたけど、海外に行く前から決意は固まってたんですね。
船木 そうなんです。ただ、一緒に練習していた鈴木(みのる)を残して移籍するのは「悪いな」と思ってたんですけど、鈴木も同じことを考えてて、たまたま同時期に新日本を辞めて、UWFに行ったんですけどね。
――でも船木さんの場合、新日本から相当引き止めもあったんですよね?
船木 ありました。猪木さんの秘書がイギリスまで来て、「残ってくれたら、こんないい話がある」と、いろいろと言われて。その中のひとつが「今年、初めて東京ドームで興行するから、そこでジャッキー・チェンと試合をさせる」ってことだったんですよ。