船木誠勝「ガチンコでやれば八百長って言われなくなる 単純にそう思ってましたね」【UWF】
――その後、格闘技の強い“シューティングプロレス”を展開した第1次UWFを、新人時代の船木さんはどう見ていましたか?
船木 まだデビュー前に、道場近くの用賀でUWFの興行があったんで、新日本の若手数人で観に行ったんですよ。そしたら、髙田さんが佐山(サトル=スーパー・タイガー)さんに蹴りまくられて、ダウンしたりする壮絶な試合だったのを観て、「藤原さんが言ったのは、こういう試合だったのか。自分にはできないな、行かなくて正解だったな」と思ったのを覚えてますね。
――当時の船木さんには、プロレスを超えたものに見えた、と。その後、第1次UWFが活動休止して、86年から業務提携というかたちで新日本に戻ってきたときは、どんな思いがありましたか?
船木 うれしかったですよ。「また藤原さんに強くなるための練習を教えてもらえる」って。自分やライガーさんは、藤原さんがUWFに行ってから、自己流でセメント(関節技の極め合い)の練習をやってたんですよ。そこに藤原さんという先生が帰ってきて、やっと答え合わせができる感じでした。また、UWFの若手選手が参戦してきたのも、すごく刺激になりましたね。
――中野龍雄、安生洋二といった選手ですね。
船木 自分はそれまで先輩や同期と試合をすると、普段一緒に生活している“仲間”なので、どうしても遠慮してしまうことがあって。いつも試合後、上の人に怒られてたんですよ。でも、中野さんや安生さんは“敵”なんで、本当に思いっきりいけて、向こうも思い切り返してきたんで、すごく闘ってる実感がありましたね。だからUWFの新人と試合するようになって、ようやく怒られなくなりました。