宮戸優光「前田さんとの関係が、第三者の焚きつけのようなかたちで壊されてしまったのは、悲しいことですよ」【UWF】
――そうですね。そして第二次UWFのブームがなければ、のちのPRIDEを中心とした総合格闘技ブームもなかったでしょうしね。
宮戸 もっと言えば、最初の(第一次)UWFにしても、もし佐山先生が加わらなかったら、はたしてあのスタイルができたのかなって思いますよ。やはり当初のUWFは、佐山先生のタイガーマスクとしての人気と、あれだけのキックの迫力とスピード、それが相まってのものでしたから。それなくして、関節技や新日本道場の流れを汲むレスリングだけで、一般のファンをつかむのはあまりにマニアックだったと思います。
――佐山さんの蹴りがあってこそ、それに相対する藤原さんの関節技も光ったわけですしね。
宮戸 そうでしょ? 藤原さんの関節技の素晴らしさはもちろんありますが、タイガーマスク、そして佐山先生のあの蹴りを制する技術として注目されたわけで、それなくして、関節技だけでプロレスのイメージを変えていくことができたのか、疑問が残りますからね。
――そう考えると、佐山さんというのは本当に歴史のキーパーソンでしたね。
宮戸 そう思いますね。このUWFの流れというのは、前田さん、髙田さんをはじめ、他の人が全員揃っていても、そういう意味で旧UWFに佐山先生がいなかったら難しかったと思う。だって、関節技がどんなものなのか、当時はファンがわかっていなかったんだから。その分かっていない中で、タイガーマスク佐山先生とのスタイルの対立的構造というのは、わかりやすかったと思う。だから、どうしてそういう存在だった佐山先生抜きでもやっていけると判断して、反・佐山っていうグループができたのか。僕はその理由がよく分からない。
――佐山さんは、当時のファンを思想的に牽引していく存在であり、興行の柱でもあったわけですからね。
宮戸 それで実際、佐山さんが抜けたことによって、旧UWFは興行的に成り立たなくなって、消滅してしまったわけだから。あのゴタゴタは不可解だったし、プロレス界の歴史を大きく変えてしまった。僕はそんなふうに思いますね。
取材・文=堀江ガンツ
宮戸優光=みやと・ゆうこう|1963年6月4日、神奈川県出身。佐山サトルの「スーパータイガージム」でインストラクターを経て、第一次UWFでプロレスデビュー。第二次UWFの旗揚げにも参加し、解散後はUWFインターナショナルの旗揚げに参加。「Uインターの頭脳」として団体を舵取りしていた。99年から「スネークピットジャパン」を設立。
【The Legend of 2nd U.W.F. vol.5 1989.4.14後楽園&5.4大阪球場 [DVD]】
▼Amazonで購入
【U.W.F. 最強の真実 (講談社+α文庫) Kindle版】
▼Amazonで購入
【前田日明が語るUWF全史】
▼Amazonで購入