宮戸優光「前田さんとの関係が、第三者の焚きつけのようなかたちで壊されてしまったのは、悲しいことですよ」【UWF】
歴史を変えた
――プロレスラーとして引退状態だった佐山さんが、UWFで復帰されると聞いたとき、どう思いましたか?
宮戸 ずっとお世話になっていた前田さんと佐山先生が合流されたわけですから、僕はうれしかったですよ。「ああ、一緒にやることになったんだ、よかったな」って。
――その佐山さんの現役復帰戦である「UWF無限大記念日」(84年7月23日、後楽園ホール)では、のちに“UWFスタイル”と呼ばれるようになる、格闘技色の強い試合の先駆けでしたけど、あの試合を見て、やはり従来のプロレスとは一味違うなという感じはありましたか?
宮戸 ありましたね。それは佐山先生がタイガーマスク時代とは闘い方をガラリと変えて、やはり僕が普段練習で見ていたような、本格的な蹴りを入れたスタイルになっていましたからね。それで相手も、タイガーマスクの頃のジュニアヘビー級ではなく、前田さんとか重量級が相手だったじゃないですか。あの時は、タッグマッチでしたよね?
――はい。前田&藤原喜明vsザ・タイガー&髙田伸彦(当時)でした。
宮戸 だから、ジュニアでもヘビーでもない試合で。そこに佐山先生の蹴りや、藤原さんの関節技という、それまで道場で磨いていながら、あまり表に出ていなかった技術が、プロレスのリングに反映されていたので、「こういうプロレスか」と驚きがありました。
――では宮戸さんもタイガージムでの練習は、UWFで闘うような“プロレスの練習”という感覚で、佐山さんの新格闘技シューティング(修斗)の練習をしているという感覚は、あまりなかったわけですね。
宮戸 そうですね。当時は、アントニオ猪木さんも「プロレスは最強の格闘技だ」と言われていましたし、佐山先生も「プロレスラーっていうのは、負けちゃいけないんだ、強くなきゃいけないんだ」ということをいつも言われていて、そういう教わり方をしていましたから。今、世間で言う“プロレス”とは、まったくプロレスという意味は違いましたけどね。そういう意味では、蹴りを練習するのも、関節技の練習をするのも、プロレスの練習とイコールの時代でしたから。