【BUBKA2月号】栗栖正伸、イス大王が語る遅咲きヒールとしての苦節50年
――新日本も黎明期はテレビ放送に付いておらず、今でいうインディーだったわけですけど、そういう団体とは全然違ったわけですよね?
栗栖 そんなもん、全然違うよ。猪木さんは身銭を切って、寮も道場も立てて、俺たちを食わせてくれてたんだから。それで、もう1年もしたら、テレビも付いて立派な団体になったからね。
栗栖夫人 猪木さんは昔からすごいカッコ良かった。服装からして、一番流行のものを着てて、もうオーラどころじゃなかったんですよ。今はバス移動やから皆さんラフな格好してるけど、昔は新幹線とかの移動の時は、新日の選手全員、ビシッとした服装で決めてね。
――プロとして人に見られているという意識が常にあったわけですね。
栗栖 俺もカネはなかったけど、革靴なんかはいつも猪木さんのお下がりでいいもの履いてて、ゴッチャンだったね。
――でも、猪木さんの付き人で他の選手と別行動が多いと、周りからのやっかみなんかもあったんじゃないですか?
栗栖 猪木さんっていうのは一番上の人だからさ、そうなると「栗栖だけおいしい思いをしてる」とか、周りがそういうふうに見てくるんですよ。それは同期の連中だけじゃなくて、山本(小鉄)さんにしても新間(寿)さんにしても、ハッキリ言って俺のことをそんなふうに見ていたから。
――小鉄さんや新間さんまで、ですか。
栗栖 俺はそんなことでテングになるような人間じゃなかったから、べつにいいんだけどさ。道場は山本さんが仕切ってるから、自分の下についてる(ドン)荒川とか藤原(喜明)をかわいがるけど、猪木さんに付いてる俺は正直いじめられたのよ。