【BUBKA2月号】栗栖正伸、イス大王が語る遅咲きヒールとしての苦節50年
――もともとアメリカで“拾ってもらった”ような感じだったんですよね?
栗栖 そう。アメリカでレスラーになろうと思って、言葉もまったくしゃべれんのにロサンゼルスに行ってね。とりあえず向こうのジムで練習しながら、日本食レストランで働いてたのよ。そしたら、その店のオーナーが、昔から猪木さんをかわいがってる人でね。猪木さんがロスに来たとき、オーナーは俺がレスラーを目指してるの知ってたから、「栗栖、今度猪木さんが新しい団体を作るから、そこで世話になれ」って言ってさ。猪木さんにも「こいつを連れていってやってくれ」って言ってくれて、それでできたばかりの新日本に入ったのよ。そっからは、ヤクザの親分・子分といっしょ。
――そこで猪木さんに出会わなければ、ぜんぜん違った人生だったでしょうね。
栗栖 ずっとアメリカにいたかもしれないし、わかんないね。でも、日本に帰ってきて正解だったんじゃない。あれがあって、今があるんだからさ。だから帰国後は、猪木さんに一生懸命尽くすのは当たり前だし、俺は義理を果たす行動をしたつもり。
――恩人なわけですもんね。
栗栖 俺は猪木さんのそばでいろんな勉強をさせてもらえたんだから、幸せよ。もし時代が違って、インディーで育ってたら惨めだよ。この前、W★INGの本をもらって読んだのよ。
――元・週プロ記者の小島和宏さんが書いた『W★ING流れ星伝説』ですか?
栗栖 そう。このまえ小島くんが俺んところにFMW時代の話を聞きにきたから、その時にもらってね。読んでびっくりしたよ。みんなカネももわらずにやっててさ。あの茨城(清志=元W★ING代表)って奴、鼻くそだよ!
――鼻くそですか(笑)。
栗栖 俺はそういう団体に入らなくて、ホントに良かったよ。