【BUBKA1月号】侍戦士と振り返る、80、90年代の豪快プロレス黄金時代…越中詩郎
――越中さんが入門した当初、鶴田さんもまだ合宿所に住んでいたんですか?
越中 そうです。ジャンボさんが寮長でしたからね。
――ジャンボさんが全日本から借り賃取って運営していたという合宿所ですよね(笑)。
越中 でも、会社がそれぐらいしてあげたって当然だと思いますよ。だって、あんな人いないですから。じゃあ、他に誰が馬場さんの次(ナンバー2)をやるんですかって。あのポジションでずっといるというのは、ジャンボさんだって大変だったと思いますよ。
――新人時代から、馬場さんのパートナーとして毎回のようにメインイベントに出て、対戦相手は超一流の外国人レスラーなわけですもんね。
越中 あれができたのは、ジャンボさんだけですよ。身長が1メートル90センチを超えてて、あんなバランスのいい人いないですよね。スタミナだって無尽蔵にあったから。僕がびっくりしたのは、昔の大阪府立体育会館での試合ですよ。夏はクーラーがなくてね。
――暑くて有名ですよね。
越中 テレビのライトもあるから、リング上は軽く40℃。下手したら50℃近くあるわけですよ。それを「じゃあ、越中くん、行ってくるかね」って言って、UN選手権かなにかでビル・ロビンソンと60分フルタイムを闘ってきたんだから。それで涼しい顔して、「今日はまあまあだったね」なんて言って。すごいなあと思いましたよ。後にも先にもあんな人いない!