【BUBKA12月号】アイドルクリエイターズファイル#12 関美彦(作曲家、シンガーソングライター)
――ももクロが入口になったんですね。
関 それからアイドルに曲を書くまでは4~5年かかっていて。そのあと、僕は脱原発集会みたいなのに行ってたんですけど、そこに制服向上委員会が出てて。
――『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』を歌ってた頃の。
関 そうです! ああいう集会って、なんの更新もされていないフォークソングだったりとか、よく存じ上げないんですけどラップの人とかがやってたりしていて、自分が見た感じ、音楽の見せものとして成り立ってるのが制服向上委員会だけだったんですよ。華があったし、メッセージを言わされてる感含めて面白かったんですね(笑)。
そうこうしているうちに橋本美香さんとの交流が始まるんです。僕も音楽やってるんです、アイドルに曲を書きたいんですよって恥ずかしげもなくお話をしてたら、じゃあ書いてくださいと言われて。髙橋(廣行)代表と会ってお話をして、新しい才能はいつでも待ってるから、ということで歌詞が送られてきて。詞が先で曲をつけたのが最初です(『嘆きの詩人』)。
――アイドルに曲を書いたのはSKiが最初だったんですね! 手応えとしてはどうだったのでしょうか。
関 正直なところ、できれば最後まで自分でやりたかったなと思いました。オケを提出するまでで、歌入れには立ち会えなかったので、こういう感じになるんだと思って驚きました。ただ、髙橋代表の詞は異常に曲がつけやすかったのは覚えてます。