【BUBKA12月号】アイドルクリエイターズファイル#12 関美彦(作曲家、シンガーソングライター)
――ヴォーカルを変えて続けるという線はあったのでしょうか。
関 そういう話もありましたけど、全然見つからなくて。当時は自分で歌うという発想もなかったので常に探してましたね。
――その後いくつかのバンドを経て、関さんはソロデビューすることになり。
関 自分で歌うことに価値があるのかわからなかったんですけど、 曽我部(恵一)くんと出会って、自分で歌いなよと言われて、歌ってもいいんだと気づいて歌い始めました。アシッド・フォークみたいでいいって言ってもらえたんですよね。
――シンガーソングライターとしての活動をしていくなかで、現在のようなプロデュース業もするようになったのはどういったきっかけだったのでしょうか。
関 震災があった年の5月に曽我部さんのライブが仙台であったんですけど、ネットを見てたら次の日にももいろクローバーZがZepp Sendaiでフリーライブをやると知って。『ミライボウル』はラジオで聴いて面白い曲だなと思っていたので、フリーなら見に行ってみようかなと思ってふらっと寄ったら、そのライブがめちゃくちゃ良くて。2時間半くらいやっていて、本当に感動しちゃいました。
5人になって直後だったと思うんですけど、なにもないステージにカラオケで歌って踊るだけだったんです。そんなライブは経験したことがなかったので、これはすごいと思って。終わってハイタッチ会があって、みんなとハイタッチして。そのときに、ももクロに曲を書きたいと思ったんです(笑)。