【BUBKA12月号】TAJIRI、WWEからアジア新興団体まで世界を熱狂させた男が語る…旅とプロレスの関係性
――SWSが潰れたあとぐらいですかね?
TAJIRI もうSWSはなくなってました。僕が大学2年でメキシコに行った時は、アミーゴにはいませんでしたけど、(ザ・グレート・)サスケさんと(スペル・)デルフィンさんがエル・トレオ(闘牛場としても有名なプロレス会場)で修行していて、北斗晶さんもメキシコにいました。
――“ジャパニーズ・ルチャ”が花開く前夜って感じですね。学生時代にメキシコに行ったときのルチャとの関わりは、観戦するくらいだったんですか?
TAJIRI ルチャのジムに入門しに行ったんですよ。大学2年頃は、ミル・マスカラスが表紙の『WB/レッスルボーイ』(小社刊)っていう雑誌に触発されて。
――『レッスルボーイ』ってありましたね~。創刊第1号がライガーさん表紙で、スタイリッシュかつマニアックなプロレスムックとしてかなり売れたらしいんですけど。第2号でマスカラスを表紙にして、1冊丸ごとルチャ特集にしたら、マニアックすぎて返本の山となり休刊になってしまったという(笑)。
TAJIRI ハハハハ! でも、あれは夢が詰まってましたよ。
――いい雑誌なんですよ。上田勝次さんのドキュメンタリーが載ってたりとか(笑)。
TAJIRI そうだった(笑)。あの本で、(単身メキシコに渡りプロレスラーになった)磁雷矢の存在を知って、「俺もメキシコに行けば、ルチャのジムに入門できるな」と思って、19歳の時にメキシコに行きましたから。それでメキシコシティに着いたあと、まず『地球の歩き方』を頼りにアレナ・メヒコに行ったんですよ。『レッスルボーイ』に「毎週火曜日が給料日」だって書いてあって、着いた日がちょうど火曜日だったので。
――『レッスルボーイ』って、そんなことまで書いてあったんですね(笑)。
TAJIRI それでアレナ・メヒコに行ったらレスラーがゴロゴロいて、『地球の歩き方』に付いてる地図を見せて、「ルチャのジムの所在地に丸をつけてください」って言ったら、スペル・アストロがジムの場所を教えてくれて、そのまま入門。ビジャノ1号が先生だったんですけど、そこで40日間練習しましたね。
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TAJIRI|1970年9月29日生まれ、熊本県出身。94年にI.W.A.JAPANでデビュー。メキシコでも修行後、覆面レスラー「アクエリアス」として大日本プロレスに参戦。渡米後はECWを経て、01年にWWEに入団。世界タイトルを通算5回獲得するなど、「プロレス版メジャーリーガー」として世界的な人気を博す。帰国後はハッスルで活躍後、SMASH、WNCを旗揚げ。現在は全日本プロレスを中心とした試合の他、執筆や鍼灸師としても活動している。