いとうせいこう×R-指定、超令和の日本語ラップ大革命
R-指定とゆかりのあるアーティストをお招きしてお送りする『新・Rの異常な愛情』。今回は「日本語ラップ」のオリジネーターのひとりであるいとうせいこうが登場。博覧強記のせいこう先生による、日本語の「韻」「ライミング」講座が始まります。
「踏まない」からスタート
――今回はいとうせいこうさんとR-指定くんによる対談形式で「Rの異常な愛情」を進められればと思います。まずこの座組では『フリースタイルダンジョン』のモンスター(R-指定)と審査員(せいこう)という関係性が思い浮かぶ読者も多いと思いますが、そのお話はもちろん、今回は「韻」や「ライミング」について深掘りできればと思います。
R-指定 よろしくお願いします。
いとうせいこう こちらこそ。
――話の入り口として、せいこうさんは89年リリースの『MESS/AGE』のブックレットに、曲中の脚韻を解説した「福韻書」を執筆されました。その意味でも、日本のヒップホップ/ラップの最初期段階で韻を意識的に形にされたせいこうさんと、脚韻も含めてライムを即興でも作品でも濃厚に落とし込むRくんは、「日本語ラップにおける韻の原点と到達点」であると思うんですね。そこでまず伺いたいのが、せいこうさんが「韻」を意識されたのはどんな理由だったんでしょうか?
いとうせいこう 元々アメリカン・ポップスが好きで、『American Top40』とかのチャートをずっとノートにメモしてたんだよね。だから洋楽の、英語圏の歌詞で脚韻が重要なのは分かってたし、そこでの韻のあり方は「西洋の伝統的な詩の韻律のあり方」に基づいてることも聞いてればわかるしね。そもそもアクセントが「弱強」とかで複雑な規則通りに並んでるんだなとか。だから、ラップを聴いたときに驚いたのは、その韻の単純さだったんだよね。もう『マザーグース』とか……。
――『ハンプティダンプティ』のような。
いとうせいこう そうそう。そういう童謡で使われるような、普通にただ言葉を2個ずつ踏んでくような、すごく単純な脚韻の連続だったし、逆にそこにパンク精神のようなものを感じたんだよね。単純であるがゆえに「すんげえ! これはもはや伝統を破壊する現代音楽みたいじゃん!」と思った。
R-指定 は~、なるほど。
いとうせいこう それで『業界こんなもんだラップ』(85年リリースの『業界くん物語』収録)のあと、いとうせいこう&Tinnie Punx『建設的』(86年)で『東京ブロンクス』みたいな曲を作り始めたときに、(藤原)ヒロシと韻をどうするか、という話になったんだよね。
R-指定 どんな話になったんですか?
いとうせいこう 「脚韻はどうする? 古くさいから踏まないでいいよね?」って言ったら、「いいんじゃない?」って言ったのをよく覚えてて。
R-指定 そうなんですか!
いとうせいこう ヒロシや(高木)完ちゃんは英語も達者だし、ポップスやロック、パンクのことももちろんよく知ってた。だからこそヒロシは「脚韻は踏まないでいいよね」と言ったわけだし、俺も「やっぱりそうだよね」と思った。ただ韻という構造を知らないと思われても困るから、サビの部分ではわざと少し踏んでるんだけどね。“東京ブロンクス”だと〈Baby Thanx For Machine Guns and Tanks,Punks〉。
――「THANX」「GUNS」「TANKS」「PUNKS」と英語で踏まれていますね。
いとうせいこう 本当に単純な踏み方だけど「ラップには脚韻という形式があるんですよ」というガイダンスとして、あの韻を踏んだんだよね。まだラップの存在を知らない人も多いときだからさ。ただ、だからこそ英語の部分だけだった。あの踏み方をしたときに、日本語だともっと違う韻の踏み方にいくのか、あるいは全く踏まなくなるのか、と「それからの韻」について考えてた。
――また“東京ブロンクス”のヴァースでは「ない」という言葉で語尾を揃えてる部分もあります。それは近田春夫さんがPresident BPMとしてリリースした“Hoo!Ei!Ho!”(86年)で「~~さ」で語尾を合わせたことにも通じますね。
いとうせいこう 日本の文化史の中で「脚韻」という形式は、本当に全くやられてこなかったことなんだよね。俳句でも和歌でも脚韻はまず踏まなかった。禁じ手と言っていい。でも頭韻はすごく踏むんだよ。能とかでも頭は結構踏んでるんだけど、なぜか後ろは踏まない。
R-指定 昔、せいこうさんが宇多丸さんのラジオに出てらっしゃった時に、頭韻やったり、似た言葉を並べる、語感の気持ち良い言葉を繋げるということを日本人はやってきたけど、「ですます口調」のような語尾も含めて、そもそも文章が同じ音で終わる仕組みになってると話されてて、なるほどと思ったんですよね。だから、そこで無理に体言止めにして、脚韻で構成するのが当時としてはすごいナンセンスやったみたいですね。
いとうせいこう わざとらしいというか、奇妙に聞こえたんだよね。例えば「オールナイトでずっと踊ってたんだよね」っていうのが、日本語の文法的にわかりやすい表現。だけど、これを倒置法的に「ずっと踊ってたんだよね、オールナイト」という文章で組み立てると、韻は踏みやすくなるけど、聴く側はその表現に慣れてないから「オールナイトでなにをしてたんだっけ?」と、聴いてるうちに前の節の内容を忘れがちだったんだよね。今みたいに体言止めや倒置法に慣れてないから、覚えててくれなかった。
R-指定 聞く側がそもそも歌詞が倒置法であることに慣れてないし、そこで「何の話してんの?」となる可能性が、当時は大きかったんですね。
いとうせいこう そうそう。当時はそれが大どころか超大だったから、そういう表現を使うことで伝わりにくくなったし、特にライブで使いにくかった。なかなか内容が伝わらない。なので、倒置法を使わざるを得ない脚韻よりも、頭韻で強調するとか、中間韻の方向に言葉やリリックを寄せてた。そういう意味では、いまや日本語の表現のあり方をラッパーも変えたけど、同時にリスナーの日本語の聞き方こそが変わったと僕は思うんだよね。日本語のラップが広まっていって、体言止めや倒置法の表現にみんなが慣れたというのは、日本語の歴史にとってすごく大きいことで、脳の中での日本語の組み立てが変わってきてると思ってんの。
――言語構造として慣れてなかったものを慣れさせる作業がラップを通して行われたと。
いとうせいこう そもそも、日本語はあからさまな韻に対する好みが強くなかったというか、それをわざとらしい不自然なことだと感じてきた。それは、現代俳句のトップの金子兜太さんの言葉を借りれば「日本語自体が韻の塊だからだ」ということだと思うんだ。
R-指定 韻が普通すぎたと。
いとうせいこう 金子さんは大先輩なのにラップのことをすごく面白がる感性も持っていて。そこで「しかし日本語は韻の塊だから脚韻は必要ないんだ」と俺に言ったんだけど、「うわ、すげえこと言うな!」と目が開かれた。僕が宇多丸の番組で言った内容を引けば、〈柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(かきくえばかねがなるなりほうりゅうじ)〉。
――正岡子規ですね。
いとうせいこう 〈かきくえばか〉まではカ行で、〈ねがなるなり〉ぐらいまでナ行が入って、〈なるなりほうりゅうじ〉ナ行とラ行が混じって入ってくる。そういうある種自然な韻の踏み方もあるし、日本人はむしろそれを良しとしてたんだよね。だから、逆にRがやってるような長い韻、硬い韻というのは、認識できなかったと思うんだ。
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聞き手・構成/ 高木“JET”晋一郎
いとうせいこう|1961年生まれ。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経て、作家、クリエイターとしてあらゆるジャンルに渡る幅広い表現活動を行なう。NHK朝ドラ第108作『らんまん』では、里中芳生役で出演。近著に、みうらじゅんとの共著『ラジオ ご歓談! 爆笑傑作選』(リトルモア)が発売中。
R-指定|1991年、大阪府出身。Creepy Nuts、梅田サイファーのMCとして活躍中。バトルMCとしても、2012年からの「UMB」3連覇をはじめ、テレビ朝日『フリースタイルダンジョン』での2代目ラスボスなど、名実ともに「日本一」の実績を誇っている。
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