吉田豪「What’s 豪ing on」Vol.10 岸田繁、すべての音は泥団子イズムに通ず
吉田豪によるミュージシャンインタビュー連載。第十回のゲストは岸田繁。くるりのフロントマンとして音楽と向き合ってきた彼の半生を、14thアルバム『感覚は道標』リリース直前のタイミングでじっくりと聞きました。
アーティストとの距離感
――これ、プレゼントです(テレビ新広島ロゴ入り非売品広島カープTシャツを渡す)。
岸田繁 ありがとうございます。これは初めて見ました。すみません、手土産もなしに。
――ぜんぜん問題ないです!
岸田繁 今日は楽しみにしてました。
――こちらこそ。ただ、以前「インタビューはとても苦手です」と言われてましたよね?
岸田繁 苦手ですね。一応この仕事は長いんでたくさん受けてるんですけど、なんか適当なこと言ったり、機嫌が悪くなってしまったりとか、向いてないなーってよく思う(笑)。
――ダハハハハ! 実は今回、岸田さんのインタビューが決まった時点で、「岸田さん、機嫌がいいときと悪いときがあるので気をつけてください」って言われましたよ(笑)。
岸田繁 ハハハハハハ!
――そんなに有名なんですか?
岸田繁 インタビューの種類あるいはメディアの種類にもよるんですよ。昔からよく知ってて、作品を深掘りするとかでいろいろわかってくれてる人としゃべるのは、わりと深いところまでいって、疲れるけど気持ちよく終われることが多かったりするんですけど。僕も今日はプロインタビュアー吉田豪氏に何を聞かれ何をしゃべるのかということをちらほら考えて来て、あえて言うと、たとえば僕らの場合やとメーカーの方が作った宣伝の紙資料ありますよね、ざっくりと概要が書いてあるテンプレートみたいな。それを読んだらわかることを聞かれると、取材が重なっている時はたまに態度に出ちゃうんですよ。
――まあ、取材日に同じようなことを何度も聞かれたらしょうがないとは思いますよ。
岸田繁 そうなんです。たとえば1日3本4本入ってたら……昨日もスタッフに言われたんですけど、だんだん眉間にシワが寄ってくるっていう(笑)。もう50歳近いし、20代30代のときはすごく忙しかったから、そのときにツアーもライターさんが同行してとかけっこうあって。ぶっちゃけ言うと、やっぱりそういう方との相性とかはありました。
――まあ、ありますよね。
岸田繁 良い感じの距離感を保っていられるといいんですけど、なかなか難しくて。それで、合わない方に対してすごく冷たい態度を取ったりするから嫌われたり。あとは特に東京で仕事するとき、「京都人でしょ?」っていう謎の警戒感を持たれることも多くて。それはいまだにありますね。しかも、いま京都に住んでるから。京都人的な感じで返事してるんじゃないか、みたいな。そういうことで警戒されることがあります。
――表面上はいいこと言ってても。
岸田繁 なにか裏があるんじゃないの、みたいな。
――岸田さんって変わった人だなと思ったのが、「話が合わないと思っていた」と公言している宇野維正さん(※70年生まれの映画・音楽ジャーナリスト。近著は『ハリウッド映画の終焉』/集英社)と単行本(『くるりのこと』)を作ってみたりしていることなんですよ。
岸田繁 ああ、いい話題ですねえ(笑)。宇野さんとはけっこう長くて、『ROCKIN’ON JAPAN』のときからというか、その前の『BUZZ』っていうロッキング・オンの雑誌で連載してたんだったかな? あの雑誌がやってたDJイベントのゲストでよく回してたんですよ。そのときに宇野維正氏はもうイケイケで、当時の東京のクラブにいた六本木WAVE(※現在の六本木ヒルズの場所にあった西武・セゾングループが運営したレコードショップ。99年に閉店)に通ってたようなタイプの方で、とにかくドラッギーな音楽をガンガン回しまくる人、みたいな感じで。そのときに一応挨拶はするんだけど話は合わなそうだし、彼自身もちょっと独特の間合いの人だから、避けてたわけではないけどそんなにおしゃべりすることもなかったんですけど、『ROCKIN’ON JAPAN』に移ってきて担当になったんですよね。もともとの担当はいまロッキング・オンの山崎洋一郎(※62年生まれの編集者・音楽ライター。『ROCKIN’ON JAPAN』『rockin’on』編集長)さんだったんですけど、洋楽に行かれたから、古川晋さんって人が編集長になって。その古川さんに当時のウチのディレクターが少しキツめの対応をしたことがあって、それもあってちょっと関係が微妙だったので、たぶん宇野さんが担当になったのかと。宇野さんにはそのときすごいまじめに対応していただいたので、この人つらそうだなと思って(笑)。そしたら辞めてあんな感じになっていったから。
――ネットで叩かれる人になって(笑)。
岸田繁 そうそう。本を作るとき、たまたま彼の『1998年の宇多田ヒカル』を読んだのかな、けっこうおもしろいなと思って。アーティストとの距離感みたいなものがちょうどいいなと思ったのでお声がけして。謎の人やけど、でも彼で本を作れてよかったと思ってます。
――ちなみにいまお話が出たディレクターが元・フラットバッカー(※82年に北海道で結成。84年にデモテープ『皆殺し』を発表)の人ですか?(ベースのTAROこと高橋太郎がE・Z・Oを経てSPEEDSTAR RECORDSのA&Rとして、くるりの担当になっていた)
岸田繁 太郎さんはくるりをがっつりやろうっていう気概がすごくあった方なので、当時はいろんな人たちと喧々諤々してたんやと思いますけど。
――フラットバッカーは聴いてたんですか?
岸田繁 ぜんぜん聴いなかったです。中学のときジャパニーズメタル好きな友達がいて、アースシェイカー(※83年にアルバム『EARTHSHAKER』でメジャーデビュー。結成40周年である今年、24thアルバム『40』をリリースした)とかデッドエンド(※84年に結成されたロックバンド。90年の解散後、09年に復活。多くのヴィジュアル系バンドにも影響を与えた)? デッド・チャップリン(※90年に、アースシェイカーの結成メンバーでもある二井原実が、ラウドネスを脱退後に結成)か、そういうの貸してくれましたけど。
――デッドエンドとデッド・チャップリンは同じデッドでもだいぶ違いますよ!
岸田繁 だいぶ違いますよね、ごめんなさい。あと初期のX(注8)とか、そういうCDを貸してくれて。ジャケはカッコいいなと思って。イングヴェイ(・マルムスティーン)(※スウェーデン出身のギタリスト。クラシック音楽の要素も盛り込んだ驚異的な速弾き奏法が特徴で「王者」と称されている)とかはすぐ好きになったんですけど、音が遠いなと思って。ほんまに予備知識もなかったので。
――その頃から録音にこだわってた(笑)。
岸田繁 音が好みじゃなくて。デッド・チャップリンのドラムがカッコいいなとかちょっと思ったりしたんですけど、そこにE・Z・Oとかフラットバッカーは入ってなかった。なんとなくそのジャンルにちょっと違和感があったままビクターと契約して。太郎さんも自分から昔バンドやってたとか言うタイプではなかったから、そういえばバンドやってたらしいよみたいな噂は聞いてました。デビュー前かな、スピッツ(※87年結成、91年にメジャーデビュー。95年の11thシングル『ロビンソン』が大ヒット。今年、最新アルバム『ひみつスタジオ』をリリース)に呼ばれて同じイベントに出て。やっぱりスピッツってすごいじゃないですか。僕ら学生バンドだったし、「うわスピッツすごい! ほんまもんや!」とかなってたら、スピッツの人たちがその太郎さんっていうディレクターに挨拶してるんですよ。
――「レジェンドだ!」って感じで。
岸田繁 「レジェンドだ、すげえ!」ってなってて。そのあともソウル・フラワー・ユニオン(※93年結成。世界中のあらゆる音楽を混ぜ合わせた唯一無二の存在として国内外で高い評価を得ている)の奥野真哉さんにレコーディングをお願いしたとき、「TAROや! サインください!!」みたいになってレコード持ってきたりしてて。それからかなり経ってから聞いんですけど、なんでくるりとかやってんだろうと思いました。
――ホントそうなんですよ(笑)。
岸田繁 変わった人だなって。
――フラットバッカー好きだったんですよ。
岸田繁 そうですか、『ミミズ』とか。
――「いいかげんにしなさいよ 今にいたい目にあうわよ」とか歌詞のセンスも最高で。
岸田繁 素晴らしいですよね。思ってたメタルのイメージと違ったんでおもしろかったです。「いいかげんにしなさいよ」(笑)。
――「さいよ」って(笑)。
岸田繁 「わよ」って(笑)。
丹田にスカムを込めて
――あれは癖になりますよ。あと宇野さんの本で興味深いなと思ったのが、子供の頃の話で、「いまの言葉でいうとADHDに近かったんだと思う」って言ってたことなんです。
岸田繁 いまはだいぶマシになってるかなとは思うし、子供なら誰でもあるかもしれないけど、じっとしてられないとか、約束ごとを覚えられないとか、それがすごくて。特に小学校の頃は机の引き出しが変形するぐらい物を入れちゃうんですよ。横に体操服とか入れる袋を吊ってるじゃないですか。それに残したパンとかいっぱい入ってて、カチカチになって。終業式のときに「全部持って帰りなさい!」って言われて、ピラミッドを運ぶみたいな感じで。
――ボクもほとんど同じでしたね。
岸田繁 ああ、わかります?
――はい。宿題はしない、忘れ物は日常で、パンは机の中でカビるものでした(笑)。
岸田繁 パンが硬くなって鋭利になって。
――不思議なのが、当時は目立たない子供だったみたいな話もしてるのに、目立とうとしてわざと服を脱いだり、泥団子食べたりとかしてたって話もあって、どっち?という。
岸田繁 そういうヤツやったんです。その本では語ってないけど、球技苦手なのに野球が好きで、一瞬リトルリーグに入ろうと思って朝の練習から行き始めたんですけど、直後についたあだ名がバテバテマンやったんで。
――致命的に体力がなかった(笑)。
岸田繁 それもトラウマになって、すぐやめちゃったんですけど。体も小さかったんでナメられたくない。足は速かったんですけど周りに強い子も多くて、取り立てて何か自慢できるものもなかったんで、ナメられないためには泥団子を食うしかないかなって(笑)。
――「あいつヤバいぞ」と思わせるには。
岸田繁 そう、わりとそれやってました。バランスは取ってたからみんなに優しくしてたし、先生に誉められることもありましたけど、鬼ごっこで追いかけられたらチンチン出したりそういうことをしてたから、終わりの会で「岸田くんがチンチンを出しました」とか、そういうのは多かったと思います。
――それだけ聞くと、かなりの調子乗りというか明るい子だったイメージなんですけど。
岸田繁 心の中はかなり闇だったと思います。
――その時点で!
岸田繁 その時点で闇でした(笑)。
――その頃、塾でイジメに遭ったってことですけど、何がきっかけだったんですか?
岸田繁 僕は76年世代で、しかも京都ですから公立中学校のレベルってすごく低かったんです。いまはだいぶ上がってると思いますけど、『スクール☆ウォーズ』みたいな……。
――当時はけっこうな治安の悪さで。
岸田繁 治安も悪かったです。ガラスないし。僕は小学生のとき、まあまあ勉強できたほうで、親も期待したのか、周りもみんな塾とか行き始めて、クラスの半分以上が受験してたんですよね。僕も小学校4年生から塾に行かされて、そのときはまだあんまり勉強しなくても点数を取れてたんですけど、5年で特進っていうクラスに入れられて。それって洛星洛南、ゆくゆくは京大コースなんですよ。
――とんでもないクラスじゃないですか。
岸田繁 うん。先生が何言ってるのかわからないし、周りの人がなんでできてるのかもわからない状態になって。やる気もなくなってくるから遅刻したりいろいろしてたら、「アホ来んなや」みたいなムードになって。僕もわりと調子に乗ったこと言うタイプだから、調子に乗ってたら最近でいう突然キレる子供みたいなのがクラスにひとりいて、そいつを中心に羽交い締めにされて暴力振るわれるみたいなこと2回ぐらいやられて。
――うわーっ!!
岸田繁 何人かで来たから歯向かえないわけですよ。もう塾には行きたくないけどこれ親に言ったら悲しむだろうなとも思うし、行かずにずっとザリガニ獲りに行って。
――ダハハハハ! 好きなことに逃避して。
岸田繁 逃避をして(笑)。でも「岸田くん来てません」みたいになるから、「ちょっとあんた塾行ってへんのか」みたいになって、「いや実は……」って、どこまで言ったかわからないけど、「ちょっとイジメられて」みたいなこと言ったら親が塾に文句言いに行って、そこはやめて別のちょっと家庭教師的なとこに行って勉強して。で、中学は受験したらなんとなく受かったんで。
――平和な学校に進学して。
岸田繁 平和じゃなかったですよ。
――え!
岸田繁 当時の受験戦争の空気感って独特でしたから、ちょっと抑圧された人たちが多かった印象があって。中高大と一貫で、クラスの男女比も当時おかしかったので、男子30人、女子12人ぐらいの比率で独特でしたね。
――モテたくてバンドを組んだっていう理由が、ちょっとわかってくる気がしますね。
岸田繁 バンドやるしかなかったですね。
――ふつうにやってたら太刀打ちできない。
岸田繁 そう、泥団子ではしんどかったので(笑)。みんな勉強ができたから、ついていけなかったですね。もうギリギリでした。
取材・文/吉田豪
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岸田繁=きしだ しげる|1976年、京都市生まれ。96年に立命館大学の音楽サークル「ロックコミューン」にて、くるりを結成。98年にシングル『東京』でメジャーデビュー。ソロ名義では、映画劇伴や交響曲などの作品を手掛ける。10月4日にくるり14thアルバム『感覚は道標』をリリースし、10月13日よりドキュメント映画『くるりのえいが』が公開&配信される。
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