【追悼特別企画】アントニオ猪木は「レスラーとして、人間として計り知れない度量を持った人」天龍源一郎が語る
アントニオ猪木さんが、10月1日、心不全のため亡くなった。プロレスラーとして一時代を築いた猪木さん。ファンを魅了し、多くの選手に影響を与え、そして「BUBKA」コラムにも何度も“登場”してきた。今回は、特別企画と題し、アントニオ猪木さんにスポットを当てた記事を紹介する。(記事の内容は発売当時のものであり、最新のものではありません)
天龍源一郎は、その40年間の“腹いっぱいのプロレス人生”で様々な名レスラーと出会い、闘い、交流した。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の2 人にピンフォールでの勝利を収めた唯一の日本人レスラーであり、ミスタープロレスとまで称された天龍。そんな天龍だからこそ語れるレジェンドレスラーたちとの濃厚エピソードを大公開しよう!
第28回アントニオ猪木(後編) 「BUBKA」2021年3月号より
猪木さんと戦うことになった発端は、WARの旗揚げ2連戦を終えた後(1992年7月15日、後楽園ホール)に「長州力が尊敬している人とも一度、肌を合わせてみたい」って俺が言ったことなんだけど、猪木さんが「いいよ、別に。何でそんな試合をやらなきゃいけないんだよ」って言えばそれで終わった話なんだよ。だから、よくぞ重い腰を上げて、乗っかってくれたと思う。当時の猪木さんは参議院議員になって忙しい時だったし、今さらながら「アントニオ猪木はやっぱり凄いな」っていう感覚ですよ。
あの時、猪木さんが応じてくれたことで、天龍源一郎が一歩階段を上ることができたというのはありましたよ。
猪木さんとタッグで初めて肌を合わせた時(93年5月3日、福岡ドーム=天龍&長州力vs猪木&藤波辰爾)、猪木さんの絡みつく卍固めを味わったね。スラッとしていて手足が長いから、まとわりつく感じで、ホントに気持ちよく入るよ。
卍固めはオクトパス・ホールドとも呼ばれるけど、まさにタコが獲物を掴むようにシュッと絶妙なタイミングで入る。他の選手の卍固めは、体は乗っかっていても、首をロックする足が滑って外れたりするけど、猪木さんはガチッと決まるね。猪木さんのふくらはぎがチョークになって首にガッチリ入ったからね。あんな完璧な卍固めはないよ。
タッグ対決の後の94年1月4日に東京ドームで猪木さんが「一騎打ちをやってもいいよ」って、俺をチョイスしてくれたことは、俺にとっては名誉なことですよ。でも俺は馬場さんの弟子だし、福岡ドームのタッグマッチでちょっと当たっただけで、俺がどんな性格なのか、俺がどんなことをやるかわからないんだから、今でも一騎打ちをやってくれたことは不思議なんだよね。