【追悼特別企画】天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る! ミスタープロレス交龍録「アントニオ猪木 前編」
猪木さんの話は「プロレスはこのままじゃいけない」とか「お前らの時代になったら、もっとグローバルにやらなきゃいけない」とか、俺にとっては漠然としていて「何を言いたかったのかな?」っていうような話だったね。あとは俺が自分のことで精いっぱいで成長しきれていなかったから、猪木さんが与えてくれたヒントにピンときてなかったっていうのが正直なところだよ。
ロスで猪木さんに会った後、俺は雑誌のインタビューを受けて「同じ時代に生きているんだから、猪木さんとも戦ってみたい」って発言したけど、それはジャパン・プロレスとして全日本で2年間戦っていた長州が新日本に戻った後だったから、ないものねだりっていうか、俺の渇望が言葉になったんじゃないかと思うよ。それに対して馬場さんから「猪木の名前なんて出すなよ」って一言も言われてないんだよね。あの頃はシリーズが終わるとキャピトル東急ホテル(現在のザ・キャピトルホテル東急)で全日本の今後について馬場さんとしょっちゅう話していたから、馬場さんも「しょうがねぇな」って思ってくれて、お咎めなしだったんだと思うよ。
そうそうロスで会う前の1月、プロレス大賞のパーティーで猪木さんに「俺とビールの早飲みをするかい? 負けないよ」って言われたんだよね。俺も引けないから「やりましょう!」って。それで負けちゃって「もう一丁、お願いします」って再チャレンジしたら、そこに長州、藤原(喜明)さん、ジャンボ(鶴田)、坂口(征二)さんも加わっての大早飲み大会になっちゃったけど、結局、猪木さんが勝ったんだよね。さすがに日本酒の一升瓶を力道山先生にイッキ飲みさせられていただけのことはあるね(笑)。あの時は猪木さんも負けまいと思って意地になって飲んだんだろうけど、俺はその日の夜に千葉の一宮で試合があったから、口に指を突っ込んで、戻して、酔いを覚まして試合をやったのを憶えてるよ。
振り返ってみると、馬場さんが魅力的な人だったら、猪木さんは興味深い人だと言えるよ、行動にしても言動にしても、何かにつけてね。
それから年月を経て、92年7月14日にWARを旗揚げした俺は「長州の尊敬する人と肌を合わせてみたい」って、猪木さんへの挑戦をぶち上げたんだよね。今月は俺から見た猪木さんの人となりを語らせてもらったけど、来月はリングで相対した猪木さんを語らせてもらうよ。
取材・文/小佐野景浩
アントニオ猪木|1943年、神奈川県出身。1960年にブラジルで力道山にスカウトされ日本プロレスに入団。同年デビュー。アメリカ武者修行などを経て、東京プロレスを旗揚げ。その後日本プロレスに戻るも1972年に新日本プロレスを旗揚げし、数多くの試合、異種格闘技戦で活躍。国民的な人気を得る。1989年に参議院議員選挙で当選し、初の国会議員プロレスラーとして話題となった。1998年に現役引退。その後、新団体『IGF』の設立や映画・CM出演など多方面で活躍。2010年に日本人初の「WWE殿堂(ホール・オブ・フェーム)」に認定された。
天龍源一郎|1950年生まれ、福井県出身。1963年に大相撲入り。1976年のプロレス転向後は「天龍同盟」での軍団抗争や団体対抗戦で日本・海外のトップレスラーと激闘を繰り広げ、マット界に革命を起こし続ける。2015年の引退後もテレビなど各メディアで活躍中。
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