【追悼特別企画】天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る! ミスタープロレス交龍録「アントニオ猪木 前編」
アントニオ猪木さんが、10月1日、心不全のため亡くなった。プロレスラーとして一時代を築いた猪木さん。ファンを魅了し、多くの選手に影響を与え、そして「BUBKA」コラムにも何度も“登場”してきた。今回は、特別企画と題し、アントニオ猪木さんにスポットを当てた記事を紹介する。(記事の内容は発売当時のものであり、最新のものではありません)
天龍源一郎は、その40年間の“腹いっぱいのプロレス人生”で様々な名レスラーと出会い、闘い、交流した。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の2人にピンフォールでの勝利を収めた唯一の日本人レスラーであり、ミスタープロレスとまで称された天龍。そんな天龍だからこそ語れるレジェンドレスラーたちとの濃厚エピソードを大公開しよう!
第27回アントニオ猪木(前編) 「BUBKA」2021年2月号より
猪木さんで凄く印象に残っているのは、俺が敢闘賞、ターザン後藤が新人賞をもらったプロレス大賞の授賞式。猪木さんが受賞したレスラーひとりずつと「おめでとう!」って握手して、そうしたら後藤が一生懸命ズボンで手を拭いて待っていたのを憶えてるよ(笑)。あの頃はプロレス大賞のパーティーでも全日本と新日本の選手が右と左に分かれるような感じだったけど、猪木さんだけは我関せずで、みんなに「おめでとう」って。だから「変わってんな。この人」っていうのが第一印象だったね。
今振り返ると、新日本プロレスを1回辞めた人間を受け入れるとか、猪木さんの姿勢は一貫して変わってないよ。長州力も前田日明も猪木さんの包容力に呑み込まれて、出戻りっていう言葉は悪いけど、故郷みたいな感じで帰っていったんだと思うよ。馬場さんは何かあった人間は絶対に許さないけど、猪木さんは全然気にしなかったもんね。これは俺の勝手な解釈だけど、14歳で船底に入って何十日もかけてブラジルに移民して、それからいろんなことがあったのを思ったら、日本に帰ってきてプロレスをやって、いろんな人といろんなことがあっただろうけど「どうってことねぇよ」っていう感じなのかなって。別に情が濃いとかいうわけではなく、テイクケアしてくれる感じじゃないんだけど、誰に対してもフラットな姿勢なんだよね。
俺が最後のアメリカ修行から帰ってきた81年から延髄斬りとか卍固めを使い始めて、新日本のファンに「全日本の天龍が何で猪木の真似をしてるんだ!?」って言われたけど、猪木さん本人から何か言われたことはなかったよ。普通だったら、どこかで会った時に「お前、あんな下手な技を使うなよ」って言われても仕方ないけど、それもやっぱり我関せずというのか、意に介さないっていうのか、「そんなのちっちゃなことだよ」っていう感じだったのかな。
延髄斬りはね、アメリカで本当にどうしていいかわからないで迷っていた時期に、新日本に行ったことがあるブラックジャック・マリガンに「日本で猪木がやっていたラウンドキックをやってみたらいい」って言われて、やり始めたんだよ。そうしたら急に猪木さんが身近に感じられて、コブラツイストとか卍固めとかをやれると思った自分がいて、日本に帰ってきた時に使い始めたら、全日本のファンが面白がって喜んで、新日本のファンが「全日本のクセに使いやがって!」って。ここでひとつ疑問があるんだけど、普通だったら馬場さんは「お前、猪木の真似はやめとけよ」って言うはずなんだけど、それもなかったから俺はラッキーだったよ。全日本のファンからも新日本のファンからも、どうあれ注目されるようになったんだからね。