天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る!ミスタープロレス交龍録 第47回「高山善廣」
天龍源一郎は、その40年間の“腹いっぱいのプロレス人生”で様々な名レスラーと出会い、闘い、交流した。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の2 人にピンフォールでの勝利を収めた唯一の日本人レスラーであり、ミスタープロレスとまで称された天龍。そんな天龍だからこそ語れるレジェンドレスラーたちとの濃厚エピソードを大公開しよう!
今回は5年以上もベッドの上で闘い続けている高山善廣について語らせてもらうよ。高山で“いの一番”に頭に浮かぶのはね、何年か前の冬にハワイに遊びに行っている時、たまたまテレビの夜のスポーツニュースでモースト・エキサイティングマッチとして高山vsドン・フライ(02年6月23日、さいたまスーパーアリーナ)が選ばれたのを観ててビックリしたことだよ。次の日にホテルのプールで「高山っていうジャパニーズを知ってるか?」って聞かれて「凄いな、高山!」って思ったことを憶えているよ。あの番組はアメリカ全土で流れたはずだよ。
ドン・フライとの試合は、紛れもなくプロレスの試合だよ、舞台は総合格闘技の『PRIDE』だけどね。総合格闘技ならディフェンスして自分がダメージを受けずにいかに相手を倒すかだけど、あの試合は高山もフライもノーガードで顔面を殴り合ったんだから。あの試合は2人とも潔いし、スポーツ・エンターテインメントして最高だったよね。
それとね、WARと髙田延彦のUインターの対抗戦が名古屋であって、その時に初めて対戦したんだけど(96年6月26日、名古屋レインボーホール=天龍&嵐vs高山&200%マシン)、メチャクチャ気が強くて、がむしゃらに向かって来るから「何なんだよ、このデッカイ奴は」って思ったのを憶えてるね。
突っ張ってもガンガン押し戻してくるし、顔面にパンチを入れても平気な顔してるから「効かねぇのかな?」って、一瞬落ち込んだんだけど、マウスピースしてたから「この野郎!」って(苦笑)。今はマウスピースしているプロレスラーも多いけど、当時はUWF系の選手ぐらいしかしてなかったからね。
当時の高山はキャリア5年にも満たないはずだから(実際には4年)、対抗戦でいきなり俺と当たったのは大抜擢だと思うんだけど、ライフセーバーをやっていたからスタミナもあったよ。
高山の人となりを知ったのは、2004年にフリーとして新日本プロレスに上がってからだね。同じようにフリーとして高山、鈴木みのる、佐々木健介が上がっていて、外敵軍団と呼ばれるようになってからだよ。みんな自分で自分の道をフロンティア精神で切り拓いてきた癖のある人間だから、それがよくひとつになってやっていたと思うよ。控室では「今日はこうしてやろう」とか、対戦相手の粗探しして、笑って楽しんでたよ(笑)。そんな中で高山はいつもニコニコしておおらかだったけど、一度社会人を経験してからプロレス界に入ってきた人間だから、自分をしっかりと持っていたね。
普通、UWF系の団体に入ると、固定観念にとらわれちゃうけど、彼の場合はその先の「プロレス界で生き抜くためにはどうしたらいいのか?」っていう柔軟な考えを持った珍しい選手だったよね。Uインターに入って数年で新日本やWARとの対抗戦を経験して、このプロレス界の内情がわかってから、理論的に考えて全日本に行って、あの馬場さんに気に入られて、新日本では現場監督の長州力に気に入られるっていうのはなかなかないよ。それで鈴木みのるとか健介とかのトップどころの選手たちと万遍なく付き合っていたしね。まあ、プロレス界では珍しいクレバーな人だよ。
Uインター時代の高山は、攻めは知っていたけど、受け身は序の口だったよ。でも全日本に行って受け身を教わることができたのは大きかったと思うよ。あれだけ大きかったら、そんなに投げられることもないだろうし、嫌だったら受け身を覚えなくてもいいんだろうけど、そこで一から全日本の受け身を教わったというのは高山の向上心だよね。
俺が新日本で会った頃、高山は鈴木みのると手が合ってた。2人ともいろんなところを渡り歩いて紆余曲折があって、ようやくプロレスに辿り着いたから、プロレスというものを理解できたと思うんだよ。高山の場合には、このプロレスというカテゴリーの中で「どうやって自分を見せていくか?」というところからトップロープを跨いでリングに入るっていうのが始まったと思うしね。あれだって人並外れた大きな体をアピールする自己演出だからさ。
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取材・文/小佐野景浩
天龍源一郎|1950年生まれ、福井県出身。1963年に大相撲入り。1976年のプロレス転向後は「天龍同盟」での軍団抗争や団体対抗戦で日本・海外のトップレスラーと激闘を繰り広げ、マット界に革命を起こし続ける。2015年の引退後もテレビなど各メディアで活躍中。
高山善廣|1966年、東京都生まれ。20歳の時に大学を休学して第1次UWFの入団テストを受け一時期入門するも、大学卒業後社会人生活を経てUWFインターに再入門。1992年6月金原弘光戦でデビュー。1997年全日本プロレスに参戦。大森隆男らとともに「NO FEAR」を結成。2000年三沢光晴らとともに全日本を脱退しプロレスリング・ノアの旗揚げに参加。2001年にはPRIDEに参戦、ドン・フライとの壮絶な殴り合いは語り草となる。その後GHCヘビー級王座、IWGPヘビー級王座に輝くなど様々な団体で活躍。2017年試合中の負傷により長期欠場中。懸命なリハビリでリング復帰を目指している。
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