【BUBKA2月号】BOOK RETURN 話題の著者に直撃取材!! vol.38 ダンカン「頭の中で考えた企画って自分しか持っていない宝物なんですよね」
――約30年前の企画書と対峙してみて、ご自身の企画にどんな印象を持たれましたか?
ダンカン 段ボールを見つけて、そのまま水道橋に渡したから、ゲラとして刷り上がってくるまで、中身の確認をしていなかったんですよ。夜中に「面白い!」と思って考えていたものって、朝起きてよく見ると「つまらない」って感じることが多いじゃないですか。ですから、きっとつまらないんだろうなって思っていた。ところが、ゲラを見てみたら 面白かったんですよね。こんなくだらないことを真剣に考えていた当時の自分に会いたくなりましたね(笑)。じっくりと膝を突き合わせて、お笑いのことを話したいなって。
――なるほど(笑)。書籍の中で触れられているように、ダンカンさんは『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(以下・『元テレ』)の2回目から放送作家として関わるようになったんですよね?
ダンカン そうですね。1回目の収録が終わったとき、たけしさんが「こんな企画じゃ面白くない」って烈火のごとく怒っていた。当時、日本テレビの日曜夜8時って視聴率が良くなかったんですよ。『元テレ』の前って、横山やすしさんが出演していた『久米宏のTVスクランブル』。その数字が思わしくないので、新番組に刷新し、たけしさんに白羽の矢が立ったんです。ですから、たけしさんも相当気合いが入っていた番組だったし、大先輩であるやすしさんの後を継ぐという意味合いもあったから、一回目の収録を見て、納得がいかなかったんでしょう。それで僕に放送作家として入れと。といっても、海のものとも山のものともわからない僕に対して、テリー(伊藤)さん……当時はまだ伊藤輝夫だったけど、戸惑ったと思いますよ。 僕自身もプレッシャーがあって、それまで『花王名人劇場』などでたけしさんや軍団が出るときにコントの台本こそ書かせてもらっていましたけど、正式に作家としてレギュラーを担当するのは初めてだった。しかも、たけしさんからの任命ですからメンツを潰すわけにもいかない。テリーさんだって僕のことを、その辺の若い兄ちゃんに何ができるんだって思っていたでしょうし。