天龍源一郎がレジェンドレスラーについて語る!ミスタープロレス交龍録 第44回「ターザン後藤」
憶えているのは、知り合いが千歳烏山に『ちゃんこ天龍』という店を開いて、そのオープンの日に大熊(元司)さんとか気心の知れた選手が4~5人来てくれた中に新人の後藤がいてね。で、寿司桶に日本酒をなみなみと注いで飲ませたら、バーッと桶にもどしちゃって(笑)。未成年に酒を飲ませちゃいけないんだけど、まあまあ昭和の時代の話ということで(苦笑)。昔は巡業に出ると、ビジネスホテルじゃなくて旅館に泊まることが多かったから、試合後の食事は宴会になるでしょ。ジャイアント馬場さんは「未成年に酒を飲ませちゃいかん!」という人だったけど、馬場さんが自分の部屋に戻った後は、グレート小鹿さんとか、大熊さん、ロッキー羽田がいたから、当時の若手は大変だったと思うよ(苦笑)。
あの当時、リング上で目立っていた若手は越中(詩郎)と三沢。越中の躍動感と三沢の器用さから見たら、冬木(弘道=サムソン冬木)、後藤はモチャッとしていたから二、三歩後ろを歩いていた感じだね。あの頃の後藤は中途半端な印象だったよ。テクニシャンでもなく、かといってパワーファイター、ブルファイターとして見たらパワー不足だったね。
俺とジャンボ(鶴田)に付き人を付けるっていう話になった時にカブキ(ザ・グレート・カブキ)さんから三沢と冬木の名前が挙がって、俺が「冬木でいいですよ」って言ったから、三沢はジャンボの付き人になったんだけど、その時に後藤の名前が出なかったのは、頭数に入ってなかったからじゃないのかな。下っ端過ぎて。付き人にしたところで気の利く感じじゃないし、どっちみち足手まといになるだろうしってカブキさんは思っていたんだろうね。大人しい奴だから影が薄い存在だったよ。