高橋源一郎『失われたTOKIOを求めて』魔改造されゆく渋谷
――『失われたTOKIOを求めて』を読むと、同じ場所でもさまざまなレイヤーがあって、螺旋構造のようになっていることがわかります。国立競技場が、かつて戦場に赴く学徒たちが集った集会の場であり、月日が流れ、オリンピックが行われた、など。
高橋源一郎 渋谷なんかもすごいですよね。「渋谷スクランブルスクエア」の屋上、地上229メートルまで上ってみて驚いたのは、はるか上から見ると、意外に東京は緑が多くて、ずっと続いているということです。でも、その緑は皇居だったり、赤坂御所だったり、皇室の持ち物が多いってわかる。その緑をさらに辿っていくと、東大駒場や松濤とか、やっぱり権力というか日本の中枢につながっている。
――権力によって緑が保たれている(笑)。
高橋源一郎 上から見ないとわからないけど、ホントにそうなんですよね。物理的には単純なことなんですが、道を歩いていると大体二面しかありません。表面と裏面です。だから、道を歩くと片面しか目に入らない。人間の意識って面白くて、片面で見ると見た気になって「見た」ってことになってしまいます。もう半分の面は、意識しないと見ることができない。おまけに上から見ると、また違うものまで見えてくる。自分の中では「見たはず」になっているから、逆回りのように違う視点で見ると脳内でバグを起こすんですよ。僕が鎌倉で迷ってしまったのはそういうことなんだろうなって。記憶の中にも、時間軸と表面裏面の水平面……双方の座標が存在している。その縦軸と横軸を意識して見ると面白いですよ。
――そもそも高橋さんの“東京観”って、どのようなものなのでしょう? もちろん、昔と今では感じ方も違うと思うのですが。
高橋源一郎 やっぱり僕にとっては文化がある場所です。それこそ新宿とか。中高生の頃は、世田谷区の千歳船橋に住んでいたから、ターミナルである渋谷に立ち寄ることもあったんですけれど、大学生になると政治的な雰囲気の新宿に吸い寄せられた。
――60年代、70年代は政治の時代ですから新宿が文化の中心だったと思うのですが、80年代になると消費の時代になって、中心が渋谷に変わります。それって、高橋さんにはどう映っていたんですか?
高橋源一郎 時代の重心が変わったんだなって思います。新宿、あまりおもしろくなくなったもん(笑)。政治の時代だった頃の新宿は、DUGとか花園神社とか紀伊国屋とか行くところに困らなかったけど、今はどこに行ったらいいのわからない。今は、毎週NHK(『高橋源一郎の飛ぶ教室』)の収録があるから渋谷に行っているということもあって、渋谷の方に馴染みの場所が多くなっちゃいました。70年代に東京を舞台にした文化的な映画を作るとなると新宿になったんですよね。でも、80年代を経て、90年代になると『蛇にピアス』とか『ラブ&ポップ』とか渋谷を舞台にした作品が多くなる。書籍の方の『蛇にピアス』には、一度も渋谷という言葉は登場していなくて、作者の金原ひとみさんに尋ねたことがあるんですよ。彼女は、「特に(場所は)決めていなかった」というんだけど、映画版では“生々しい感じ”を求めて渋谷になったらしいですね。文化の重心の変動って、映画を見ているとわかりやすくて、かつてATGは新宿にあった。ところが、かつて渋谷にアップリンクなんかがあった。マイナーな映画や映画館があるところが、文化的中心なんですよね。