『砂まみれの名将 野村克也の1140日』著者・加藤弘士氏「勝手な使命感が」
―― 一つ疑問に思ったことがあって、『砂まみれの名将』というタイトル。ものすごくシンプルだと思うんですけど、タイトルだけではシダックス時代の野村本だとはわかりづらい。どうしてこのタイトルに?
加藤弘士 3年間、グラウンドに通った身からすると、やっぱり「砂まみれ」というイメージが強いんですよね。この言葉は外したくないという思いがありました。他にも候補があったのですが、このタイトルでいかせてほしいと。タイトル以外にも、装丁ももう一つ違うものがあって。僕は今の装丁一択だったんですけど、どっちでいくか新潮社さんは迷ったそうです。この赤いユニフォームで指揮を執っている姿こそシダックス時代の野村監督だったし、帯をめくるとわかるのですが、左腕にはギラギラした高級腕時計、薬指に宝石の指輪をしている――この唯一無二の姿こそ、シダックス3年間のノムさんだった(笑)。極貧の少年時代という背景を持つ野村監督の成り上がり感もあって、僕はこの装丁が大好きなんです。激論を交わし、一冊の本が書店に並ぶという経験をさせていただいた新潮社さんには感謝しかないです。日ごろは、スポーツ記者ですから、めちゃくちゃ面白かったですね。
――加藤さんは、入社後は6年間、「スポーツ報知」の広告の営業セクションにいたことが綴られています。その後、念願だった記者となり、アマチュア野球担当になります。当時は、やってみたいジャンルなどあったのでしょうか?
加藤弘士 実は、格闘技を希望していたんですよ(笑)。ですが、アマチュア野球担当に。野球は好きでしたけど、アマチュア野球って社会人の都市対抗野球くらいしかイメージがわかない。失礼な話ですけど、そのときはわからないことだらけ。勉強しないことにはどうにもならないなって。
――ところが、加藤さんが記者に転属した1年目。野村さんが、まさかのシダックスGM兼監督に就任する。最初に会われたときの印象はどうでしたか?
加藤弘士 違和感しかないですよね。関東村のグラウンドで会ったのですが、「なんでこんな空き地のようなグラウンドに野村克也がいるんだ」って。僕は営業部だったとき、阪神時代の野村監督を見ているのですが、お供の人や番記者を何十人も引き連れて歩いていましたから。思わず、「こんなひどい所でやってるんですか」と口走ってしまって。言った瞬間、言わなきゃよかった、怒られるだろうなって後悔したんですけど、野村監督は「野原でやるから『野球』なんだよ」とうれしそうに話してくれて。その笑顔にやられてしまったというか、笑顔の理由が知りたいって思ったんです。もし、プロ野球の番記者経験があるような記者が関東村の野村監督を見たら、「ノムさんも落ちぶれちゃったな」とか悲観的な見方をしていたと思う。でも、僕は記者一年目で、その経験がなかった。あの名将が、必死に野原で野球をしている姿に、純粋に惹かれていくところがあった。番記者として足しげく関東村に通ったのも、何というか笑顔の理由を知るために、旅に出ているような感覚の取材でした。