田村潔司、孤高の天才が語るヤマヨシとの宿命
――そんなことリングス時代は一切言ってないわけですよね?
田村潔司 言うわけない。そのときは本当に口もきかないぐらいのライバル関係だったから。当時、山本はリングス・ジャパンのナンバー1で前田(日明)さんの後継者と言われていて、そこに途中から俺が入ってきて。山本もライバルとしては歓迎してくれたと思うけど、ナンバー1争いをする上で絶対に負けたくない気持ちがあっただろうから。
――ほぼ決まりだった次期エースの立場を横取りしかねない人が来たわけですから、穏やかじゃないですよね。
田村潔司 でも、そこは「勝ちゃいいんでしょ」的な感じだったと思う。「やってやるよ!」っていう。だから実際に俺と山本でやって、勝ち負けで言うと俺が勝ったけど、そこはスッキリしてると思うけどね。勝負だから。
――ものすごく悔しいけど納得はしているだろう、と。
田村潔司 今振り返ると、彼と日本人同士で殺伐とした試合で、リングスジャパンナンバー1決定戦的な感じで位置づけた試合ができたのは誇りに思う。他のU系を見渡してもないと思う。
――プロレス史を見渡してもないですよ。大昔で言うと、日本プロレスのBI砲時代の馬場、猪木がリアルファイトでどちらがエースか決めるようなものですからね。
田村潔司 だからお互い本当に嫌い合って、練習もまったく別々で、お互い築き上げてきた立場を賭けて、田村vs山本宜久というひとつの作品ができたことに対して、今の正直な気持ちを言えば、山本にはもう感謝しかないから。あの動画を見るかぎり、向こうもそう思ってくれてるだろうなとは思うけど、そこら辺は俺らの肌感覚でしか分かんないから。まあ、よくやったと思いますよ。