音楽プロデューサー・石田ショーキチ「合唱ってすごく胸を打つんですよ。それで、合唱をやらせるしかないなと(笑)」
――僕がお伺いしたかったのは、プロジェクトにいざこざが起こったときに石田さんがメンバーを引き取ったじゃないですか。それは楽曲提供者という立場を超えた、すごく責任感のあることだったと思うんです。
石田ショーキチ そこはおっしゃる通りですね。市の広報的な仕事もしていたので、その後始末も僕がする羽目になったりしましたし、色々な噂のせいで街中でも我々が悪いみたいな雰囲気になってしまって、何百といたファンも離れてしまった。そうなったら僕が守るしかない、となりますよね。残った人たちは結束していましたし。でもそこはまぁ、過ぎたことなので(笑)。トラブルがあったからこそあの子たちを一生懸命育てているというのもあるし、僕もマネージャーを楽しくやらせてもらってるので、あの時があっていまがあるという言いかたはできます。
――そしてまちだガールズ・クワイアが始まるわけですが、合唱のコンセプトはどうして思いつかれたのでしょうか?
石田ショーキチ 思いついたというよりも苦肉の策で合唱にしたというのが正直なところで(笑)。ミラクルマーチと妹分のリトルパレードを引き取って、2グループを見るなんて無理だから1グループにまとめたんですけど、ミラクルマーチ発足時に私が選んだメンバー以外は大して歌えなかったんですね。それでどうしようか悩んでたんですけど、うちは子供が3人いて、発表会を見に行くと合唱ってすごく胸を打つんですよ。ちゃんと歌ってない子もいるし音程を外してる子もいる。でも、全員でわーっと歌われると動かされちゃうものがある。それで、合唱をやらせるしかないなと(笑)。音楽プロデューサーとしてはほかにまとめる方法がないと思って、いまから合唱やりますと急に伝えました。
――そのときのメンバーの反応はどうだったんですか?
石田ショーキチ ふざけんなよっていう反応もありましたよ(笑)。初期からやってるもえかとあやねはそこそこ歌えたんですよね。全然できないメンバーを仲間に入れて、お客さんも離れてしまったところからの再スタートだったから、そのふたりは忸怩たる思いだったと思います。逆にリトルパレードの子たちは舞台に上がる機会が少なかったので嬉しかったんじゃないかなと。目的地としてはコーラスグループにしたかったんですよね。可能なら町田のロネッツにしたいなと。
――初期の音楽性はまさにそうですね。
石田ショーキチ ロネッツとかシュレルズとかスプリームスとかマーべレッツとかが若い頃から好きだったんです。アメリカの昔のリズム&ブルースですよね。ノスタルジックなマイクを2~3本置いて、そこにメンバーが群がるような形で歌うステージングがいいなと思っていた時期もありました。